北野天満宮の七不思議

【不思議1】 影向松
大鳥居をくぐってすぐ右手にある一本松。立冬から立春までに初雪が降ると天神様が降臨し、ここで詩を詠まれるという伝説があります。

【不思議2】 筋違いの本殿
神社は普通鳥居から参道をまっすぐ行くと本殿がありますが、ここは途中で参道が左に折れています。参道正面には地主神社があり、あとから本殿を建立したからだそうです。

【不思議3】 星欠けの三光門
三光門は本殿の前にある中門です。名前の「三光」は太陽・月・北極星の3つを表します。しかし門には太陽・月の装飾(下の写真)はありますがなぜか北極星だけがありません。


【不思議4】 大黒天の燈籠
三光門の南東に大黒天の燈籠があります。台座の大黒天の口に小石を乗せ落ちなければ金運に恵まれるそうです。

ただ多くの人が挑戦したためか口がつるつるで傾斜がついているので小石が乗るのはほとんど不可能な状態です。

【不思議5】 唯一の立ち牛
拝殿欄干に刻まれている牛は境内で唯一立ち姿の牛だそうです。後ろ足だけが立っています。

【不思議6】 裏の社
本殿の後ろに「御后三社」は菅原道真の先祖・祖父・父が祀られています。これが本殿と背中合わせに建っているので、本殿とは反対を向いてお参りすることになります。

【不思議7】 天狗山
境内の北西角にある小山は天狗が出没したという伝説があります。(訪問時は大雨による倒木で立入禁止でした)
以上が北野天満宮の七不思議といわれるものです。いずれも単なる伝説や理由がわかっているものが多くあまり「不思議」ではない気がします。あえて言えば「星欠けの三光門」が一番の不思議ですね。いずれにしても、このような七不思議の存在を知っていて探しながら参拝すると楽しさが増すことは確かです。

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疫病退散の神様でもあった!?

その境内にはたくさんの見どころがあります。
普通に参拝すると気づかない駐車場の奥に太閤井戸があります。豊臣秀吉が北野大茶会で水を汲んだと伝わる井戸です。

境内にはたくさんの「牛像」があります。これは菅原道真が丑年生まれで、墓所を決めたのも牛であったなど牛に関わる伝説が多く伝わります。年末には大きな牛が「参拝」に訪れたニュースが流れていました。丑年の今年はお参りに来る人も多いと思います。

本殿前の三光門は重要文化財です。

国宝である本殿は豊臣秀頼が造営したもので、絢爛豪華な桃山建築です。

そしてぜひとも見ておきたいのは「御土居(おどい)」です。

「御土居」は豊臣秀吉によって造られた土塁で、京をぐるっと取り囲んで防御しました。現在はほとんど残っていませんが、ここ北野天満宮など数カ所にその一部が残っています。

北野天満宮ではお正月の縁起物として「大福梅(おおふくうめ)」が授与されます。平安時代の疫病流行の折に村上天皇がお茶に入れて飲み、病いが治ったことから、元旦のお茶に入れて飲むと無病息災に効くとされています。今年は授与日程が年内に前倒しされ、郵送受付も含め1袋6粒入り700円の大福梅3万袋があっという間に完売となりました。コロナウィルス退散を皆が願う今年は「学問の神様」以上に「疫病退散の神様」で参拝客が増えそうな北野天満宮です。

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今年こそ煩悩払え除夜の鐘
掃除や片付けもほぼ終わり、あとは除夜の鐘を待つだけです。
ちなみに下の写真は京都の知恩院の大鐘です。日本三大梵鐘(知恩院・方広寺・東大寺)の1つで、親綱を引く僧侶と子綱を引く16人の僧侶で大きな掛け声のもと、撞き手が撞木に仰向けにぶらさがるようにして、体全体を使って大鐘を打ち鳴らします。

27日はその試し撞きだったのですが、今年は僧侶だけで行われました。31日の除夜の鐘も同じく僧侶だけで行われます。
下の写真は昨年の試し撞きの日の朝の写真です。私は知らずに訪れたのですが、すでに場所を確保して待っている人もいました。今年はこのような光景もありません。

最近は除夜の鐘が近所迷惑だというクレームから昼に鐘を撞いたり中止したお寺が増えています。年に一度のことで、しかも除夜の鐘なのに世知辛いなあと思います。世の中から心の余裕が消えつつある証しですが、これは新型コロナ感染拡大における理不尽な「自粛警察」や「コロナ差別」などと通じる部分があるように思います。世界史で中世の魔女狩りについて科学のない時代はこうなると習いましたが、どうしてどうして科学の進歩した今もあることを知りました。今年はコロナをきっかけに日本人(人間)の醜い面を見せられた1年でもありました。
こんな年だっただからこそ、大晦日には各地の寺院は除夜の鐘を撞いて煩悩を払ってほしいです。


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石垣の斜め線&転用石に注目

まずは昇龍橋です。きれいな曲線を描く橋です。この橋を渡らずに天守へ行く経路もありますので、ぜひ渡っておきたいところです。

歴史的な価値のある橋ではないようですが、形が美しいので写真映えする橋です。

廃城令で破壊を免れた銅門番所は大正5年に二の丸から天守台に移築されました。福知山城で唯一の現存建造物です。訪れたときはここでお茶会が催されていました

「豊磐(とよいわ)の井」は深さ50mあり、城郭内湛水井としては日本一の深さです。天守入り口前にあります。ここが海抜30mですので深さ50mの凄さがわかります。

石垣をよく見ると斜めの線が入っているのがわかりますでしょうか。これは石垣が増築されたことを物語っています。

右が明智光秀時代の石垣で、左が江戸時代に増築された部分だそうです。知らなければおそらくスルーでしょう。

この城の石垣には「転用石」が多く使われているのも特徴です。「転用石」とは、もともと供養塔や墓石、石仏などだった石造品が石垣に利用されたものです。石垣のあちこちに使われています。

再建工事の時に300以上の転用石が出土し、城の前に並べられていました。よく織田信長が石仏などを石垣に使うことを非道とする向きがありますが、明智光秀もやっています。当時は急ぐ築城の際は行われていたようです。ただ福知山城はその転用石が多いことでも知られています。


大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀ゆかりの福知山城は、歴史的価値もあり、続日本の100名城にも選ばれました。城だけでなく周辺にも見どころの多い町です。

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丹波平定の象徴

明治の廃城令で取り壊されましたが、市民の熱意により、昭和61年に3層4階の天守が再建されました。

石垣は 築城当初の面影を残すもので、福知山市指定文化財となっています。

「望楼からの城下の眺めは抜群です」ということですが、天守に登ったときはモヤがかかっていました。

それでも気温が上がるにつれて少し青空が見えるようにはなってきました。

城の近くを由良川が流れています。この川が度々氾濫して洪水になるので、明智光秀は堤防代わりに竹を植えて城下町を守ったといわれています。下の写真の緑の木々がそれで「明智藪」と呼ばれています。

城の前には「ゆらのガーデン」というエリアがあり、芝生広場のまわりに7つのおしゃれな店が並んでいます。このときは訪れた時間が早くまだ開店していませんでした。

このゆらのガーデンの前に広い無料駐車場があります。城へ行くにはここへ駐車すると便利です。
私が子どもの頃は福知山と言えばめちゃくちゃ田舎で、車でも列車でも「遠路はるばるやって来た」という場所でした。今は高速道路も通り、この日も自宅のある阪神地区から出かけ、夕方には帰宅しました。「麒麟がくる」でもそろそろ丹波地方が登場するでしょうし、地元もドラマ終盤の最後の盛り上がりでしょう。

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光秀、丹波攻め拠点の城

下の写真の池は内堀の跡です。

大名の天下普請の刻印が残る石もあります。

入口から2つ目に通る下の写真の門が当時の本丸入り口のあった場所です。

復元された天守石垣ですが、下側3分の1は築城当時からある穴太積みの石垣です。

天守台には大イチョウの木があります。明智光秀が植えたと伝えられていますが、江戸時代に台風で倒れたという記録が残っているそうです。

亀山城は廃城処分後、亀岡市が所有していましたが、荒廃した状態の城跡を宗教団体「大本」が購入しました。

ですから石垣の修復もその「大本」によるものです。

城郭を見学するにはその宗教施設の受付で手続きをします。かつては無料でしたが、現在は300円必要です。

亀山城は明智光秀の丹波攻めの拠点にした城であるだけでなく、織田信長を討つために本能寺に向かったのもこの城からという歴史的に意義ある城です。本来は亀岡市が手放さずに調査や復元を行い、広く市民に公開すべき場所だった思います。

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光秀最期の城は娘の嫁ぎ先
勝龍寺城の歴史は古く、1339年足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。

ただ、この城が有名なのは、明智光秀の娘・玉(ガラシャ)が細川忠興に嫁ぎ、2年間新婚生活を過ごしたからでしょうね。
夫婦の銅像は撮影スポットですが、銅像は北向きなので昼間は逆光です。

なので、背中から撮るときれいに写るのです‥

発掘調査で石垣で補強された土塁と北東隅櫓があり、櫓に上がる階段があったことがわかっています。現在は櫓風の小屋があります。

そして土塁の上から公園を見た風景です。正面は櫓を模した管理棟です。

管理棟の2階は歴史展示コーナー、1階は休憩室になっています。とくに紅葉の名所ではありませんが鮮やかでした。

今ではガラシャは勝龍寺城公園の広告塔で、毎年11月に玉の輿入れ行列の再現などによる「長岡京ガラシャ祭」がこの公園を中心に盛大に行われます。

勝龍寺公園の北200mほどの場所にも高さ6mの土塁と空堀跡が残っており、小さな公園になっています。

明智光秀は本能寺の変前後にこの城に入りましたが、豊臣秀吉との山崎合戦に敗れ、細川氏の援護も得られず、自身の坂本城に向かってここを出た直後に命を落とすことになります。「麒麟がくる」で、明智光秀が細川藤孝(娘の義父)と親しげにしている場面を見るたびに「最後は背を向けられるのになあ」と思ってしまいます・・

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tag : 京都
八坂さんも国宝に
疫病退散を祈願する祇園信仰の総本社ということで、コロナ禍で再注目されています。
本殿は江戸時代前期に焼失したあと、徳川家綱によって承応3年(1654年)に再建されました。

その八坂神社の本殿が国宝に指定されることになりました。
本殿は両側面と背面にひさしをつけた独特の外観で、平安時代の建築方法を継承しています。

この様式が建築史上高い価値があることに加え、本殿が祇園祭を担う人々により、現在まで維持されてきたことに深い文化史的意義があることが評価されました。

ちなみに八坂神社は四条通の突き当りにあるので、ここにある朱塗りの門(1枚目の写真)が正面だと思っている人が多いです。
しかし実は南側にある南楼門(下の写真)が正式な入口です。ここを直進すれば本殿がありますので、やはりここが正面ですね。

それにしても、これで京都の国宝はいくつになるのでしょう。おそらく建造物だけでもかなりの数になります。それだけにニュースの扱いもさほど大きくないような気がします。

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母に捧げた明智門
この金地院の中に明智門という門があります。

この門は、天正10年(1582)に明智光秀が母を弔うために黄金千枚を寄進して、当初は京都の大徳寺に建立されたものです。
母は光秀の丹波攻めで波多野氏の八上城に人質として預けられていましたが、織田信長の指示で八上城を攻めることになり処刑されたという伝説があります。現地には磔にされたと伝わる松もありますが、この話は後の創作だというのが通説になっています。
このことを大河ドラマ「麒麟がくる」ではどう描くかはわかりませんが、変な話、地元の丹波ではPRのために母役の石川さゆりさんが処刑されることを期待しています。

その後、明治になってこの明智門は金地院に移されました。それまで金地院には現在の豊国神社の唐門(下の写真)がありました。明智門も豪華さでは見劣りしてしまいますね。
それもそのはずで、この唐門は派手好きの豊臣秀吉の伏見城から移築されたと伝わっており、国宝に指定されている門です。

金地院は1400年頃に創建されたと伝わりますが、徳川家康に近い僧・崇伝がこの地に移築してから有名になりました。
重要文化財の東照宮は寛永5年(1628)の造営で京都で唯一の権現造り様式です。家康の遺髪と念持仏が祀られています。

「鶴亀の庭」は、崇伝が徳川家光のために作らせ、小堀遠州が作庭した江戸時代初期の代表的な枯山水庭園です。

金地院崇伝と南光坊天海は江戸幕府の中でライバル関係です。実は明智光秀は死なずに生き延びて天海になったという伝説があります。なので崇伝の金地院に明智門が移築されてくるというのも因縁のようで、おもしろい気がします。
有名な南禅寺には三門や水路閣などの見どころが多く、金地院はスルーされがちですが、見学しておきたい寺院です。

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麒麟で登場!2つの二条城
正門の東大手門は1662年建築で重要文化財です。

唐門は二の丸御殿の正門で、2013年の修復工事で豪華絢爛な姿がよみがえりました。これも重要文化財です。

そして国宝の二の丸御殿です。二条城の紹介で出てくるのはこの構図ですね。

二の丸庭園はどの角度から見ても鑑賞できるよう設計されています。

天守跡からの景色です。かつては伏見城から移築された五重六階の天守がありましたが、1750年に焼失し、その後復元はされていません。

この有名な二条城が建つ以前に別の二条城が離れた場所にありました。旧二条城といわれます。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で登場して注目されましたが、織田信長が足利将軍のために築いた城でした。
長い間その存在は伝説の域を出ませんでしたが、市営地下鉄の工事中に遺構が発掘され存在が確認されました。場所は現在の二条城よりも東で、一部は京都御苑の敷地にもかかっています。石垣には石仏や墓石も使われ、その一部が今の二条城の敷地内に積まれています。端の方にひっそりとありますので多く人は気づきません。

天守がないのでお城の感じがしませんが、東南隅櫓はお城の雰囲気を出しています。これは外から見ることができます。

入場料は1030円です。私は御殿には2度入りましたので、庭園のみの620円で入場しました。ただ初めて行かれるのであれば、御殿内も大広間・黒書院や障壁画などの見どころが多いので、ぜひ国宝の二の丸御殿の内部も見学してください。

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