
城は標高283mの八幡山に築かれましたが、現在は建物は残っておらず、石垣が残るだけです。

下の写真は西の丸跡からの風景です。琵琶湖とその向こうに比叡山が見えます。当時は麓まで琵琶湖でした。

西の丸跡から歩いて2分で出丸跡に着きます。ここからは城下町のようすが見えます。

秀吉の姉の子である秀次は秀吉の後継予定でしたが、秀吉に秀頼が生まれると、謀反の疑いをかけられて、高野山に追放されたあと自害に追い込まれました。
本丸跡には村雲御所瑞龍寺というお寺があります。秀次の母が秀次の菩提を弔うために京都に創建し、1961年ここへ移築されました。

山頂まで行くロープウェイは15分間隔で運行されています。登山道が整備されているので麓から歩いて登ることもできます。

豊臣秀次が秀吉の命令で切腹させられ、この城も築城10年で廃城になりましたが、切腹の真の理由については諸説あります。
秀次の妻や側室も、秀次の首が晒される前で処刑されるひどい仕打ちを受けており、秀吉を描くドラマでもいろいろな視点で描かれる事件です。ただ今回の大河ドラマ「どうする家康」では家康がメインなので、秀次事件は扱われないようです。

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