1609年に徳川家康の命により西国の大名に築かせた平山城で、日本100名城のひとつに数えられています。
豊臣秀頼のいる大阪城の包囲網のひとつとして築かせましたが、西国の大名に建築の負担をかけて蓄財させないことも目的でした。

今は建物は失われていますが、近江の石垣職人集団の穴太衆の高い技術指導によって積み上げられた石垣は当時のまま残っています。

さらに堀も堅固な二重の堀がそのまま残っています。

本丸の南東隅には天守台(天守を築く土台)がありますが、当初から天守はありません。 これは石垣や堀などの作りがあまり堅固すぎることに幕府が築城を命じておきながら心配したためとも言われています。
大河ドラマ「どうする家康」風に言えば
重臣「西国の大名たち頑張ってあんなに堅固な城を築いてますが、どうする家康さま」
家康「あそこまでは頼んでないんだけど…せめて天守を作るのは止めさせよう!」
というような感じでしょうか。

明治になって廃城令で城郭は取り壊されましたが、築城時に建てられた大書院は残されました。しかしそれも昭和19年に失火のため焼失してしまいました。その後市民の強い要望もあり、寄付によって2000年に再建されました。

丹波篠山は丹波黒大豆が有名です。城見学の後、丹波栗と丹波大納言小豆を使用した栗ぜんざいと黒豆茶をいただきました。冷え切った体にはありがたいメニューでした。

最初に書いたように篠山城は徳川家康が大阪城包囲網のひとつとして築かせた重要な城ですが、関ヶ原の戦いから大坂の陣にかけての急展開の話題豊富な時期ですので、今回の「どうする家康」でこの城までが出てくることはないかと思います。

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