
この三木城が有名なのは城主・別所長治(下の写真)と豊臣秀吉との戦い「三木合戦」です。
中国地方の毛利氏を征するためにこの地が必要だった織田信長は、豊臣秀吉に命じて三木城の攻略にかかります。
長期戦を覚悟して籠城した別所長治に対して、秀吉は城への補給路を断ちました。2年近く経過すると、城内の兵糧は尽き、籠城していた人々は軍馬や牛、城内に生える草木の根にいたるまで食べつくし、餓死者が多く出ました。世にいう「三木の干し殺し」です。

結局、別所長治は残された者の助命と引き換えに切腹し、凄惨な戦いは終わりました。
天守があったと伝わる小高い場所には「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」という別所長治の辞世の句が刻まれた碑が立っています。

二の丸跡には「みき歴史資料館」があります。
館内は、6つの時代に分けて、三木の歴史や歴史資料を分かりやすく紹介しています。

その中に、三木城や三木合戦に関するコーナーがあり、法界寺に現存している「三木合戦軍図」の複製掛け軸は必見です。

戦国時代のドラマでも「三木合戦」が描かれることがよくあります。三木城を包囲した面々も大河ドラマでお馴染みの豊臣秀吉を筆頭に黒田官兵衛・竹中半兵衛や今回の大河ドラマ「麒麟がくる」でお馴染みの明智光秀・細川藤孝などそうそうたる顔ぶれでしたので、一度行ってみたいとは思っていました。
三木城跡とそれを取り囲む食糧補給路を断つために築かれた付城や土塁の遺跡群が戦国期の合戦の過程や全容を把握する上で重要な史跡だとして、平成25年に国の史跡に指定されました。マニアックな歴史ファンは三木城だけでなく山中に残された付城や土塁の跡も辿るそうです。

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