家来は切断された光秀の首と胴を埋めたものの、掘り出され秀吉に差し出されたと言います。
その明智光秀の胴を供養する碑が殺害されたといわれる明智藪の2kmほど北にあります。

明智光秀の「胴塚」は昔からあったそうですが、昭和になって石塔が建てられ、その後今の場所に移されたとのことです。
コイン精米所のとなりの交通量の多い道路の脇にひっそりとありました。

それに対して「首塚」はさらに離れた京都の三条にあります。風情ある白川のほとりに「餅寅」という和菓子屋さんがあり、その横の路地を入ります。

路地を10mほど入ると小さな五重の首塚があります。

首塚の前には小さな祠が建てられています。維持管理されているのは路地入り口の和菓子屋さんだそうです。

亀岡の谷性寺にも光秀の首塚があり、墓もいくつかの場所にあります。それぞれに真偽のほどは定かではありません。

そうだとしても、首塚がこのような目立たない路地裏にひっそりとあるのはやはり謀反人としての扱いなのでしょうか。
いよいよ「麒麟がくる」も日曜日で最終回です。明智光秀は死なずに生き延びて徳川家康から光秀までを陰で支えた南光坊天海という僧になったという伝説もあります。家光の「光」の字は光秀からとった、徳川家光の乳母お福(のちの春日局)は光秀の重臣斉藤利三の娘である、徳川家康が祀られる日光東照宮の近くに明智平という地名があることなどが根拠とされています。
さて大河ドラマでは光秀の最期はどのように描かれるのでしょうか。

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