勝龍寺城の歴史は古く、1339年足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。

ただ、この城が有名なのは、明智光秀の娘・玉(ガラシャ)が細川忠興に嫁ぎ、2年間新婚生活を過ごしたからでしょうね。
夫婦の銅像は撮影スポットですが、銅像は北向きなので昼間は逆光です。

なので、背中から撮るときれいに写るのです‥

発掘調査で石垣で補強された土塁と北東隅櫓があり、櫓に上がる階段があったことがわかっています。現在は櫓風の小屋があります。

そして土塁の上から公園を見た風景です。正面は櫓を模した管理棟です。

管理棟の2階は歴史展示コーナー、1階は休憩室になっています。とくに紅葉の名所ではありませんが鮮やかでした。

今ではガラシャは勝龍寺城公園の広告塔で、毎年11月に玉の輿入れ行列の再現などによる「長岡京ガラシャ祭」がこの公園を中心に盛大に行われます。

勝龍寺公園の北200mほどの場所にも高さ6mの土塁と空堀跡が残っており、小さな公園になっています。

明智光秀は本能寺の変前後にこの城に入りましたが、豊臣秀吉との山崎合戦に敗れ、細川氏の援護も得られず、自身の坂本城に向かってここを出た直後に命を落とすことになります。「麒麟がくる」で、明智光秀が細川藤孝(娘の義父)と親しげにしている場面を見るたびに「最後は背を向けられるのになあ」と思ってしまいます・・

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