ここは「国家安康の鐘」で有名です。
秀吉亡き後の豊臣家がこの鐘に「国家安康 君臣豊楽」という語を刻んだ事を理由に徳川家康は一気に豊臣家を滅ぼしたのです。(「家康」が分断され、「豊臣」はくっついているという)
実際に見て驚くのはその文字の小ささです。
私が学校でならったときは30センチ四方くらいの大きさだと思っていました。
でも実際は写真のような大きさです。
ほんとによくもまあ気付いたなあという文字の量と大きさです。
いかに家康が豊臣家を攻める理由を血眼になって捜していたかがよくわかる鐘です。


ここにはかつて今の東大寺大仏殿をしのぐ大仏殿もあったそうです。

今はその跡地の一角に大きなケヤキの木があるだけです。
観光客も来ないひっそりとしたところです。

ちなみにこのすぐ近くにこれまた有名な三十三間堂があります。


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