駿府城を壊して駿府城を建てた理由

徳川家康は幼少の頃に今川義元のもとで人質として駿府(静岡)で暮らしました。晩年に息子の秀忠に将軍職を譲ったあとも江戸から駿府へ移り、最期は駿府城で息を引き取りました。
天守は残っておらず駿府城跡は、駿府城公園として開放されており、いつでも自由に散策できます。
IMG_3200.jpg

公園の中央には徳川家康の銅像があります。「大御所」として駿府に移ってきた頃の姿を表しています。家康は晩年の65歳から亡くなる75歳までの最後の10年間をここで過ごしました。
IMG_3021.jpg

いくら松潤が老けメークをしても大御所時代家康の感じにはなりませんね。私の中では西田敏行津川雅彦北大路欣也のイメージです。
IMG_3226.jpg

下の写真は上から見た駿府城公園の様子です。右下の池は本丸堀で、駿府城の三重堀の最も内側の堀です。明治29年に埋められてしまいましたが、発掘調査により現在は一部その姿を現しています。
IMG_3192_20230314055746645.jpg

駿府城跡天守台の発掘調査現場は無料で見学することができます。
徳川家康が晩年の大御所時代に過ごした慶長期(江戸時代初め)の駿府城の天守台南北68m、東西61mもあり、そこに江戸城姫路城をはるかに超える日本一の大きさの天守がありました。係の方に「復元しないのですか?」と尋ねると、「大きすぎて天守はおろか石垣さえも復元するには莫大な労力と費用がかかるため無理です。」とのことでした。なるほど…(°_°)
IMG_3219.jpg

この場所には、その前に家康豊臣秀吉の臣下時代に築いた天正期戦国時代末期)の天守がありました。実態はよくわかっていませんでしたが、2018年にこの天正期の天守台石垣と多くの金箔瓦が出土し、その全貌が明らかになってきました。家康秀吉の影響があったこの天正期の城をわざわざ破壊して、その上に新たに巨大な慶長期の天守を築いていたことがわかりました。豊臣色を完全に消したかったのでしょう。
発掘現場では見学者がわかるように、天正期の遺構に赤いコーン慶長期の遺構に緑のコーンが置かれていました。
IMG_3227_20230314055840034.jpg

大阪城も秀吉時代のものは地中深く埋めてその上に徳川の大阪城を築きましたが、駿府城でも同じことをしていたわけです。こういうことを知ったうえで発掘現場を見るとおもしろいです。
駿府城公園はいつでも自由に入場できますが、発掘現場の見学時間は9~16時に限られます。

にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北海道情報へ
にほんブログ村


人気ブログランキング

スポンサーサイト



これまでの訪問者数
FC2ブログランキング
にほんブログ村ランキング
★ランキング参加中★ クリックしてね~
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村 旅行ブログ 北海道旅行へ
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北海道情報へ

人気ブログランキング
★ランキング参加中★ クリックしてね~
リンク

このブログをリンクに追加する
応援

松原一彦立体造形作品


名寄 北の天文字焼き


札幌レンタリース