統一地方選挙報道のため1週休みだった
大河ドラマ「
どうする家康」の今回のタイトルは「
金ヶ崎でどうする!」です。
織田信長最大のピンチである「
金ケ崎の退き口」が描かれます。
信長が越前の
朝倉氏を攻め込んでいたときに、妹の
市を嫁がせている
浅井氏に裏切られて背後から攻められ挟み撃ちになり、現在の
福井県敦賀市の
金ケ崎城から命からがら逃げたのが「
金ケ崎の退き口」です。現在、城は残っておらず、
金ヶ崎城跡の麓には
金崎宮が建っています。
私が
北海道へ行くときに利用する
新日本海フェリーの
敦賀港ターミナルはこの
金ケ崎城跡の近くです。フェリーは深夜出港なので早めの夕方に行って
金ケ崎緑地といわれる海沿いの公園の周辺を歩いたことがあります。

公園のすぐ隣にあるのが「
旧敦賀港駅舎」です。現在は
敦賀鉄道資料館として活用されています。

公園の敷地内にある「
人道の港 敦賀ムゼウム」です。
戦前、シベリアやナチスドイツから逃れてきたユダヤ人難民が、リトアニア・カウナスの領事代理
杉原千畝が発給した“
命のビザ”を握りしめ、敦賀港に上陸したことに関連した展示を行っています。

「
赤レンガ倉庫」は1905年に建てられ石油貯蔵庫として使われていました。内部は柱が無く
国の登録有形文化財です。現在は商業施設になっています。

「
敦賀港駅 ランプ小屋」は1882年に作られた小さなランプ小屋で、現存する鉄道関連の建造物では最古のもののひとつです。汽車の照明に使われるランプや油類などの危険物を保管していました。

海洋交通がさかんだった時代、鉄道と港の関連は密接で、
小樽や
函館とまではいかないものの
敦賀にも多くの
明治時代のレトロな建物が残っています。ただ夕方でしたのですべて見学時間は終わっていましたが…

このように
金ケ崎城跡周辺は見どころが多く、また近くには
日本三大松原の
気比の松原や
日本三大木造鳥居の
気比神宮もあります。私のようにフェリー乗船前にちょこっと見るのではなく、1日かけて見るべきエリアです。

ちなみに
浅井氏に嫁いでいる
信長の妹の
市が
金ケ崎城で戦っている兄に浅井氏の裏切りで「袋のネズミ」になっていることを知らせるために
両端を固く縛った小豆の袋を送り届けたという逸話があります。ドラマチックな話なので時代劇では定番のように描かれる逸話ですが、実際は後世の作り話のようです。
【追記】16日の「
どうする家康」の「
金ヶ崎でどうする」では市の
小豆の袋は未遂に終わり、市の侍女の
阿月が命を懸けて金ヶ崎城まで知らせに走るという展開で描かれました。小豆と阿月です。
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