その紫式部の墓所が京都市堀川北大路の交差点近くの堀川通沿いにあります。

このあたりは紫式部が生まれ育った場所とされており、地名の「紫野」も「紫式部」に関係があるといわれています。

訪れて初めて知ったのですが、紫式部の墓の隣りにはなぜか小野篁(たかむら)の墓もあります。墓所入口の左右に紫式部と小野篁の墓所であることを示す石碑が立っています。

小野篁はご存じない方も多いでしょうが、平安時代の歌人で、閻魔大王の補佐役をしていたという伝説のある人物です。京都市東山区にある六道珍皇寺には小野篁が冥界への出入口にしたと伝わる「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」があります。これらの井戸は特別公開のときに見ることができます。
小野篁が冥界への入口にしていた「冥土通いの井戸」

小野篁が冥界からの出口にしていた「黄泉がえりの井戸」 こちらは2011年に井戸跡が見つかり整備されました

そんな小野篁と紫式部は生きた年代もずれていますし、縁があった話も聞いたことがないので、2人の墓が同じ敷地内で隣り合っているのは不思議に思いました。下の写真の左手前が紫式部、右奥が小野篁の墓です。

そこで少し調べてみました。
紫式部は亡くなったあと「源氏物語」の好色話で多くの人々を惑わせたという罪で、地獄に落ちたという噂が流れました。そこで人々は彼女を救うために閻魔大王の補佐役だった小野篁の墓の隣に紫式部の墓を移し、小野篁の執り成しで紫式部の罪を許してもらったという伝説があるようです。なるほどそんな話があったのですね。紫式部の墓の隣りに小野篁の墓があるのではなく、小野篁の墓の隣りに紫式部の墓があると言う方が正しいわけです。

墓所は島津製作所の敷地の一角のような場所で、もちろん堀川通から入れますが、入り口は地味で私も通り過ぎそうになりました。それでも2024年の大河ドラマで紫式部が扱われると、おそらく目立つのぼりなどが立てられることでしょう。

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