
全長190mの大きさは淀川流域では最大級です。上の写真のように上空から見ると全貌はわかりますが、地上からだと下の写真のように単なる森です。写真左が前方部、右が後円部です。

埋葬者は継体天皇であるというのが歴史学者で一致した説です。しかし宮内庁は近くの別の古墳を継体天皇陵墓に指定しているので、この今城塚古墳の発掘調査は自由に行うことができ、多くの成果が得られました。その結果からもこちらが「継体天皇陵」であることに間違いないようです。

宮内庁が陵墓に指定していないので墳丘にも上がることができます。下の写真は後円部の頂上です。

堀の外側には埴輪祭祀場が再現されています。人・馬・家など発掘された190点の埴輪をそのままの位置に復元配置しています。

ここから1.5km離れた場所に当時の大規模な埴輪工場跡も発見されています。調査の結果、ここの埴輪はその工場で焼かれたものであることが判明しています。

さらに石棺には阿蘇ピンク石が用いられたこともわかりました。遠く九州から運ばれてきた貴重な阿蘇ピンク石で石棺を作ったことからも埋葬者が高い身分だったことがわかります。古墳横の高槻市立今城塚古代歴史館にその石棺が再現されています。

埋葬者の継体天皇は507年頃に即位した第26代天皇です。先代天皇の跡継ぎがなかったとはいえ、越前にいた遠縁の男大迹王(のちの継体天皇)がなぜ即位したのかなど今でもわかっていないことが多く、謎多き天皇として有名です。

さすがに宮内庁も今さらこちらが継体天皇陵だと指定しなおすわけにはいきません。しかしそのおかげで今城塚古墳は学術調査が進んだだけでなく、公園として整備され市民に親しまれています。天皇陵墓でキャッチボールができるのは極めてまれな光景です。

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