愛媛県宇和島市の
宇和島城に行きました。2カ所ある入口のうち、南側の「
上り立ち門」から入りました。この門は
慶長年間(1596~1615)の初期に築かれたそうです。
宇和島城は築城の名手・
藤堂高虎による城です。
多くの城の縄張りの形は
四角形ですが、
宇和島城は不等辺五角形です。このことが敵を混乱させ、幕府の隠密ですら誤った城の構造を報告した記録があるくらいです。
下の写真は
代右衛門丸の石垣です。私は城内地図を見てこれを右へ行くと天守へ近道だと思い進んだのですが、結局行き止まりでした。私が足軽ならその時点で討ち死です・・
宇和島城天守は、日本で12しか残っていない
現存天守のひとつです。

本来は敵を拒むべき天守ですが、宇和島城の玄関は大歓迎とばかりにものすごく大きいです。鉄砲を撃つ狭間もないので、天守は
平和の象徴として築かれたと考えられています。
天守は1666年に完成したといわれていますので、江戸幕府も安定し、平和な時代です。

天守最上階から屋根を見ると桃の形をしたものが見えます。これは
飾り瓦と呼ばれ、桃と亀には魔除けや長寿を願う意味があるそうです。少し前に紹介した
岡山城でも同じような飾りがありました。

天守からの眺めです。築城時はもっと海が城に迫っていたようです。

おすすめの構図は下の写真です。
天守に向かう最後の石段を上る途中で振り返ったら写真の構図が見えます。実は私が見つけたのではなくテレビ番組で紹介されていました。

帰りは反対の北登城口にある「
藩老桑折氏武家長屋門」から出ました。
平山城なので天守までの道のりが厳しいわけではないですが、ある程度は歩きやすい靴でお出かけください。
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