消えた明智藪
いよいよ大河ドラマ「麒麟がくる」も最終話を残すのみとなりました。
明智光秀の終焉の地とされる京都市伏見区の明智藪へ行きました。
思ったよりもわかりにくく、人に尋ねてやっと光秀の供養塔のある本経寺と現場の明智藪の分岐点の表示(下の写真)を見つけました。

まずは供養塔のある本経寺へ行きました。分岐点からすぐです。

本堂への階段を上がると左側に供養塔があります。

そして再び分岐点まで戻り、明智藪の方向へ100mほど歩くと明智藪の石碑がありました。実際の明智藪はここからさらに30mほど先です。

明智光秀は本能寺の変のあとの山崎の合戦で秀吉に敗れ、近江の坂本城に向かっている途中、ここで落ち武者狩りに遭って落命したと伝えられ、明智藪と名付けられています。

ただ、私が見たブログ写真では石碑からの30mの道は獣道に近いような昼間でも薄暗い気味の悪い場所でしたが、いざ行くと写真とはまったく違う景色になっています。藪がほんの一部を残して伐採されてしまったようです。もはやほとんど藪はありませんでした。

明智光秀がこの辺りで殺されたとすることも異論がある中で、襲われた場所をピンポイントで特定する証拠はありません。あくまで伝承なので、明智藪には歴史的価値はなく、土地の所有者も治安や防災面から藪を保存することは困難だったのかもしれません。
山崎の合戦に敗れた後、細川藤孝の援護を得られず出発した勝龍寺城と近江の坂本城を地図で確認すると、見事に両方の城を結んだ直線上にこの明智藪があります。江戸幕府により後付けで殺された場所が指定されたという説もありますが、前半生から本能寺の変の動機、終焉の地まで謎だらけの明智光秀です。

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明智光秀の終焉の地とされる京都市伏見区の明智藪へ行きました。
思ったよりもわかりにくく、人に尋ねてやっと光秀の供養塔のある本経寺と現場の明智藪の分岐点の表示(下の写真)を見つけました。

まずは供養塔のある本経寺へ行きました。分岐点からすぐです。

本堂への階段を上がると左側に供養塔があります。

そして再び分岐点まで戻り、明智藪の方向へ100mほど歩くと明智藪の石碑がありました。実際の明智藪はここからさらに30mほど先です。

明智光秀は本能寺の変のあとの山崎の合戦で秀吉に敗れ、近江の坂本城に向かっている途中、ここで落ち武者狩りに遭って落命したと伝えられ、明智藪と名付けられています。

ただ、私が見たブログ写真では石碑からの30mの道は獣道に近いような昼間でも薄暗い気味の悪い場所でしたが、いざ行くと写真とはまったく違う景色になっています。藪がほんの一部を残して伐採されてしまったようです。もはやほとんど藪はありませんでした。

明智光秀がこの辺りで殺されたとすることも異論がある中で、襲われた場所をピンポイントで特定する証拠はありません。あくまで伝承なので、明智藪には歴史的価値はなく、土地の所有者も治安や防災面から藪を保存することは困難だったのかもしれません。
山崎の合戦に敗れた後、細川藤孝の援護を得られず出発した勝龍寺城と近江の坂本城を地図で確認すると、見事に両方の城を結んだ直線上にこの明智藪があります。江戸幕府により後付けで殺された場所が指定されたという説もありますが、前半生から本能寺の変の動機、終焉の地まで謎だらけの明智光秀です。

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