低くなった堤防跡
前回紹介した備中高松城跡を訪れていたとき、遠くに大きな鳥居が見えたのでその方向に行ってみました。着いてみると近くにある最上稲荷の大鳥居だとわかったのですが、鳥居のすぐ近くに「蛙ヶ鼻(かわずがはな)築堤跡まで600m」という案内板を見つけました。

蛙ヶ鼻堤は備中高松城を水攻めするために築いた堤で、本丸の高さと比較する表示が高松城址公園にありました。

下の写真がその蛙ヶ鼻築堤跡です。秀吉はここから3キロにわたり高さ8mの堤防を築いたとされています。これを短期間で築いたのですからすごいです。現在は土砂が工事で持ち出されるなどして大部分は消滅しています。

下の写真が堤防の唯一残った史跡です。現在は低くなっていますが、当時は高松城本丸よりも1.4m高い堤防でした。

堤防の上に立って備中高松城の方向を見ました。この広い水田や本丸が水没する様子を秀吉はここから見ていたのでしょうか。正面に見えるのが最初の写真の最上稲荷の大鳥居でさらに向こうに備中高松城がありました。

近年の発掘調査で、築堤に使われたと思われる木杭や土俵・むしろ等が確認されました。

場所はわかりにくいですが、最上稲荷の大鳥居をめざして来ると鳥居前に駐車場があります。私はそこに止めて歩きましたが、築堤跡にも数台の駐車スペースがありました。

にほんブログ村

人気ブログランキング

蛙ヶ鼻堤は備中高松城を水攻めするために築いた堤で、本丸の高さと比較する表示が高松城址公園にありました。

下の写真がその蛙ヶ鼻築堤跡です。秀吉はここから3キロにわたり高さ8mの堤防を築いたとされています。これを短期間で築いたのですからすごいです。現在は土砂が工事で持ち出されるなどして大部分は消滅しています。

下の写真が堤防の唯一残った史跡です。現在は低くなっていますが、当時は高松城本丸よりも1.4m高い堤防でした。

堤防の上に立って備中高松城の方向を見ました。この広い水田や本丸が水没する様子を秀吉はここから見ていたのでしょうか。正面に見えるのが最初の写真の最上稲荷の大鳥居でさらに向こうに備中高松城がありました。

近年の発掘調査で、築堤に使われたと思われる木杭や土俵・むしろ等が確認されました。

場所はわかりにくいですが、最上稲荷の大鳥居をめざして来ると鳥居前に駐車場があります。私はそこに止めて歩きましたが、築堤跡にも数台の駐車スペースがありました。

にほんブログ村

人気ブログランキング

スポンサーサイト
tag : 秀吉