かつては毎年この時期になるとテレビで「
忠臣蔵」をやっていました。日本人の心に響く物語でしたが、最近ではこの出来事を知らない人も多くなりました・・・
兵庫県
赤穂市にある
赤穂城跡です。言わずと知れた「
忠臣蔵」の
赤穂四十七士のふるさとです。
大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士が藩主・浅野内匠頭の仇討のために
吉良上野介邸に討ち入ったのが
元禄15年(1703年)12月14日(旧暦)でした。つまり次の月曜日ですね。
赤穂城跡は
国の史跡に指定されており、段階的に整備・復元されつつあります。下の写真は
本丸門です。

城には立派な
天守台がありますが、一度も天守は築かれませんでした。修復されていますが築城当時のものです。

天守台の上からの眺めです。本丸には
本丸御殿の間取りが記され、刃傷事件後に
大石内蔵助らが大評定に集まった場所もわかります。さらに発掘調査でみつかった庭園なども復元整備されています。
二之丸庭園は1998~2001年に全面発掘調査が行われ、庭園として復元されました。
大石神社は
大石内蔵助・藤井叉左衛門両家老屋敷跡にあります。参道には
四十七士の石像が並んでいます。
赤穂市立歴史博物館は赤穂城内の
米蔵があったところに建っています。ということで建物の西側外観は
5連の白壁土蔵を模しており、米蔵を再現したものになっています。展示は「
赤穂の塩」「
赤穂の城と城下町」「
赤穂義士」「
旧赤穂上水道」のテーマに分かれています。館内は撮影禁止です。
赤穂城は浅野氏には広大すぎたため財政難となりました。実際に訪れるとその広さがよくわかります。まだこれから調査・復元していくと思われる広大な空き地もあります。民家や高校も整備のため移転したそうです。かくなる上は立派な
赤穂城址公園を完成させてほしいです。ただ、くれぐれも赤穂市も浅野氏のように財政難にならないように。

私が小中学生の頃は「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」「大岡越前」「銭形平次」「必殺仕事人」などなど
時代劇の全盛期で、子どもの私でもよく見ていました。しかし今では時代劇はほぼ消滅し、
「忠臣蔵」も忘れられつつあります。「残したところで何になる」と言われそうですが、
後世に残したい話です。
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