母に捧げた明智門
京都・南禅寺の門前に塔頭である金地院があります。(塔頭とは簡単に言えば大寺院敷地にある小さな寺院です)
この金地院の中に明智門という門があります。

この門は、天正10年(1582)に明智光秀が母を弔うために黄金千枚を寄進して、当初は京都の大徳寺に建立されたものです。
母は光秀の丹波攻めで波多野氏の八上城に人質として預けられていましたが、織田信長の指示で八上城を攻めることになり処刑されたという伝説があります。現地には磔にされたと伝わる松もありますが、この話は後の創作だというのが通説になっています。
このことを大河ドラマ「麒麟がくる」ではどう描くかはわかりませんが、変な話、地元の丹波ではPRのために母役の石川さゆりさんが処刑されることを期待しています。

その後、明治になってこの明智門は金地院に移されました。それまで金地院には現在の豊国神社の唐門(下の写真)がありました。明智門も豪華さでは見劣りしてしまいますね。
それもそのはずで、この唐門は派手好きの豊臣秀吉の伏見城から移築されたと伝わっており、国宝に指定されている門です。

金地院は1400年頃に創建されたと伝わりますが、徳川家康に近い僧・崇伝がこの地に移築してから有名になりました。
重要文化財の東照宮は寛永5年(1628)の造営で京都で唯一の権現造り様式です。家康の遺髪と念持仏が祀られています。

「鶴亀の庭」は、崇伝が徳川家光のために作らせ、小堀遠州が作庭した江戸時代初期の代表的な枯山水庭園です。

金地院崇伝と南光坊天海は江戸幕府の中でライバル関係です。実は明智光秀は死なずに生き延びて天海になったという伝説があります。なので崇伝の金地院に明智門が移築されてくるというのも因縁のようで、おもしろい気がします。
有名な南禅寺には三門や水路閣などの見どころが多く、金地院はスルーされがちですが、見学しておきたい寺院です。

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この金地院の中に明智門という門があります。

この門は、天正10年(1582)に明智光秀が母を弔うために黄金千枚を寄進して、当初は京都の大徳寺に建立されたものです。
母は光秀の丹波攻めで波多野氏の八上城に人質として預けられていましたが、織田信長の指示で八上城を攻めることになり処刑されたという伝説があります。現地には磔にされたと伝わる松もありますが、この話は後の創作だというのが通説になっています。
このことを大河ドラマ「麒麟がくる」ではどう描くかはわかりませんが、変な話、地元の丹波ではPRのために母役の石川さゆりさんが処刑されることを期待しています。

その後、明治になってこの明智門は金地院に移されました。それまで金地院には現在の豊国神社の唐門(下の写真)がありました。明智門も豪華さでは見劣りしてしまいますね。
それもそのはずで、この唐門は派手好きの豊臣秀吉の伏見城から移築されたと伝わっており、国宝に指定されている門です。

金地院は1400年頃に創建されたと伝わりますが、徳川家康に近い僧・崇伝がこの地に移築してから有名になりました。
重要文化財の東照宮は寛永5年(1628)の造営で京都で唯一の権現造り様式です。家康の遺髪と念持仏が祀られています。

「鶴亀の庭」は、崇伝が徳川家光のために作らせ、小堀遠州が作庭した江戸時代初期の代表的な枯山水庭園です。

金地院崇伝と南光坊天海は江戸幕府の中でライバル関係です。実は明智光秀は死なずに生き延びて天海になったという伝説があります。なので崇伝の金地院に明智門が移築されてくるというのも因縁のようで、おもしろい気がします。
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