「少年よ、大志を抱け」
の言葉で知ってますよね。

でも在任期間は1年足らずですし、たしか「少年よ~」の言葉は帰国前に馬上から叫んだと伝説的に言われています。
像まであるのだから、大きな業績もあると思うのですが、道外一般には知られてません。
でもあのセリフとクラーク像の存在は日本中の誰もが知っています。
明治初頭に海外から来て日本に多大な影響を与えた外国人は数多くいます。
しかし、どうしてクラーク博士がここまであのセリフとともに浸透しているのでしょう?
誰かプロデュース的な役割をした人間がいるのでしょうか?
知ってる人いたら、教えてください。
それにしても、業績そのものはさほど知られず、「少年よ~」のセリフだけが独り歩きし、挙句の果てに自分の像は札幌のがっかり名所に入れられる・・・
クラーク博士はどう思ってるでしょうね~
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