豊臣秀吉が建てた大阪城は、大坂の陣の後、徳川が完全に破壊し跡形もなく地中に埋めてしまいました。徳川はその上に新たな大阪城を築き、現在の大阪城はその徳川の天守を模して昭和6年に復元されたものです。

大阪城公園で見ることができる堅固な高い石垣も、豊臣ではなく徳川が築いた石垣です。つまり今の大阪城から秀吉の大阪城の面影を感じることは出来ません。

昭和34年の調査で地下9mから古い石垣の遺構が見つかり、さらに昭和59年には現在の天守東側の地下11mから高さ6mの石垣が見つかりました。これが徳川によって埋められた秀吉の石垣です。それにしても徹底的に地中深く埋めたものです。それだけ豊臣の影響を消し去りたかったのでしょう。写真は数年前に再発掘されて一般公開されたときのものです。

大阪市は大坂夏の陣から400年の節目を迎えたことをきっかけに、この豊臣期の石垣を公開する事業を起ち上げて寄付を募っています。現在、埋められた豊臣期の石垣を見学できる施設を建設中です。

さらに豊臣期の大阪城の雰囲気を垣間見ることができる遺構があります。
堀に架かる極楽橋は今はコンクリート製の橋ですが、築城当時はきらびやかな屋根の付いた絢爛豪華な橋だったそうです。

琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺の唐門が、その極楽橋の遺構だと伝わっています。あくまで伝承の域でしたが、平成18年にオーストリアで発見された『大坂図屏風』に描かれている極楽橋が宝厳寺の唐門に似ていることから一気にその信ぴょう性が高まりました。事実ならば豊臣期の大阪城の唯一現存する貴重な遺構ということになります。ちなみに宝厳寺の唐門は国宝に指定されています。

このように秀吉の築いた大阪城の痕跡は発掘された地下の石垣や琵琶湖の寺に辛うじて残っているだけです。でも現在の大阪城公園の天守や石垣を秀吉が築いたものだと何となく思っている人は関西でも意外と多いです。

にほんブログ村

人気ブログランキング

スポンサーサイト