私は知らずとも価値ある寺
824年に空海により創建されたと伝わる寺院です。写真の鐘楼門は唯一創建時からの建物で、日本最古の鐘楼門です。(鐘を吊るした痕跡があることから鐘門だと証明されました)

ここは平戸ツツジの名所ですが、秋は紅葉もきれいです。

下の写真は本堂入り口から庭園を見た風景です。「ここからの眺めがおすすめです」という貼り紙がありました。

境内中央に池があり、下の写真は池越しに見た本堂です。

いろはもみじやノムラもみじなどが美しく、全国紅葉100選にも選ばれています。

ちなみに本尊は阿弥陀如来三尊(1152年制作)ですが、玉眼を用いた仏像としては日本最古のものです。(玉眼というのは仏像の眼に水晶をはめ込む技法で鎌倉時代以降に広まりました)
空海の創建、日本最古の鐘楼門、日本最古の玉眼仏像・・・私は名前も知らないお寺でしたが、紅葉以外にも多くの見どころのある寺院でした。

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)の各府県の駅前路線情報
genre : 地域情報
密談場所は紅葉名所
かなり山奥で、妻は「本当にここまで登ってきて話をしたのか」と疑念を抱いておりました。境内からさらに15分ほど山道を登った場所に、ここで密談したという碑がありますが、ピンポイントで場所まで特定されるのは確かに怪しい・・あくまで伝承ですね。

ただこの場所は奈良でも屈指の紅葉名所として有名です。紅葉シーズンの今は多くの人が訪れます。神社ですが拝観料は600円必要です。

藤原鎌足の息子が687年に父の供養のために十三重塔を建造したことが談山神社の起源となっています。なので祭神として藤原鎌足を祀っています。

現在の塔は1532年の再建ですが、それでも現存する世界唯一の木造十三重塔です。国の重要文化財です。

紅葉に囲まれる塔は人気の撮影ポイントです。

本殿は701年の創建され、1850年に建て替えられました。これも国の重要文化財です。

本殿は三間社隅木入春日造という珍しい建築様式(私にはよくわかりませんが・・)で、日光東照宮の手本にされたといいいます。

拝殿の中から眺める紅葉は、建物がフレームになり、まるで絵画のようです。

最寄駅からバスで25分ということで、アクセスのよい京都の嵐山や東山の紅葉名所に比べると混雑具合ははるかにマシです。ニュースで見ると3連休の嵐山などは通勤ラッシュのような混雑ぶりでしたからね。

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)の各府県の駅前路線情報
genre : 地域情報
日本三大大仏は2つだけ
この話は以前にも書いたことがあるのですが、少し事情が複雑です。
というのも奈良の大仏と鎌倉の大仏の2つは誰が考えても文句なしに日本三大大仏に入るでしょう。

あとのひとつは京都の方広寺の大仏でした。大阪冬の陣のきっかけになった鐘のある方広寺です。大仏の高さは19mあったということですので奈良の大仏の台座を含む18mを超える大きさでした。
しかし大仏は昭和48年に5代目が焼失して以降は再建されず、今は下の写真のように大仏殿跡地を知らせる案内板と礎石の一部が残るのみです。

そこで3つ目の大仏に名乗りを上げたのが、明治に造られた能福寺の兵庫大仏です。高さが18mの大仏です。下の写真が兵庫大仏です。

しかし、この兵庫大仏も戦争の金属拠出の影響で一旦は消失しました。

その後、この兵庫大仏は平成3年に再建され日本三大大仏入りを宣言しました。しかし歴史の浅さなどの理由で異論が唱えられ、結局はすべての人が認める日本三大大仏にはなっていません。
ということで、現時点では全国各地20ほどの大仏が三大大仏の三番目の空席に名乗りをあげています。もしかするとみなさんの近くにも「日本三大大仏」と銘打った大仏があるかもしれません。意見が一致しないのなら無理に三大●●というようにする必要はないと思うのですが・・つまりは三大大仏となれば人が来るという観光の側面の争いですね。

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)の各府県の駅前路線情報
genre : 地域情報
大仏を金色に復元しないワケ
ドラマの内容は、唐から帰国して理想の国づくりを進めようとする吉備真備(吉岡秀隆)を主人公に、大仏建立を命じた聖武天皇(國村準)と娘の阿倍内親王(石原さとみ)、そして天皇から権力を奪おうとする藤原仲麻呂(高橋克典)らの生きざまを描いていました。

2010年はちょうど平城遷都1300年ということでドラマが製作されました。撮影も平城遷都1300年記念事業で復元された第1次大極殿をはじめとする平城宮跡や薬師寺などでロケが行われました。

東大寺の大仏は、正式には「盧舎那仏座像」といいます。像の高さは14.7mありますが、当時のまま残っているのは台座だけで、焼失により胴体は鎌倉時代、首から上は江戸時代に作られました。

ドラマでも出てきますが、造られた当初の大仏は金色に輝き、現在の大仏とは趣きが異なります。下の写真は、当時NHK大阪放送局に置かれていた撮影にも使われた金色の「小さな」大仏です。

実際に日本以外の仏教国の大仏の多くはきれいな金色の姿をしています。

そもそも日本では大仏をなぜ忠実に金色に復元しないのか。それはその後日本人に定着した「侘び寂び」の精神によるそうです。一般的に日本人は少しくすんだ色や少し古びた状態を「風合い」として好む傾向があり、それゆえにあえて大仏を金色には修復しないという話を聞きました。
確かに私も金色に輝く大仏よりも今の色の大仏の方が好きですが、これは日本人特有の感覚のようですね。
ところで、このドラマ「大仏開眼」が9月5・12日にBSプレミアムで再放送されます。改めて見ようと思いますが、とくに歴史がお好きな方はぜひご覧ください。

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)の各府県の駅前路線情報
genre : 地域情報
ならまちより今井町が好き
現在は小さなお寺ですが、かつては「ならまち」全体が境内でした。

「ならまち」は江戸時代の末期から明治時代にかけての面影を残す町屋や町並みが保存されています。
「ならまち格子の家」はこのあたりの町屋を再現したもので入場無料です。

道に面した「みせの間」は応接間として玄関に最も近い場所にあり、格子越しに外の風景を望むことが出来るようになっています。

このあたりには庚申信仰というものがあり、家の前に「身代わり申」が魔除けとして吊るされています。

一方、奈良県橿原市今井町も「ならまち」と同じように江戸時代そのままの風情を残す町です。
東西約600m、南北約310mの地区内に約500棟の伝統的建造物が存在しており、これは地区内の数としては日本一です。

戦国時代に一向宗本願寺一族の今井兵部が開いた町です。やがて織田信長の弾圧に備えて、堀や壁を張り巡らし、城塞都市の様相となりましたが、信長暗殺により町は存続しました。

その後大坂や堺とも交流がさかんとなり、町は繁栄し、現在もほとんどそのままに家や町並みが残っています。

「ならまち」は東大寺や興福寺の近くなので大勢の観光客が訪れ、それに伴っておしゃれな店が増えて、何となく昔の風情が薄れている印象がありますが、それに比べて「今井町」は奈良市から離れているので人も少なく昔のままのように思います。
個人的には「今井町」の方が好きです。

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方情報♪(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山)
genre : 地域情報
興福寺の新スポット

奈良のランドマーク的存在である五重塔は光明皇后の発願により730年に創建され、現在の塔は室町時代の再建です。
現存する日本の木造塔としては東寺五重塔に次いで高く(50.1m) 国宝に指定されています。

さらに新たに注目されているのが中金堂です。江戸時代に焼失して以来、仮金堂でしたが、この秋300年ぶりに再建されました。

本尊も仮金堂に安置されていた釈迦如来像が還座しました。

東西37m・南北23m・高さ21mで、奈良では東大寺大仏殿(東西57メートル、南北50・5メートル、高さ46メートル)に次ぐ大きさの木造建築です。
訪れたときはテレビクルーも来ていました。

10月の中金堂の落慶法要のときに興福寺から招待状が届いて驚きました。思い返せば以前訪れたときに寄付したような・・
ただ残念ながら予定が合わず欠席しました。

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方情報♪(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山)
genre : 地域情報
紅葉点在型は疲れる

このあたりも関西では人気の紅葉名所です。ただ寺社の境内などと違って広~い範囲に紅葉している木々が点在しています。

なので奈良公園から興福寺・東大寺・春日大社を紅葉ポイントを探してひたすら歩きました。
下の写真は奈良公園の南にある鷺池です。池の周辺がきれいに紅葉していました。

東大寺南大門近くの春日野園地あたりです。写真は一面紅葉で真っ赤ですが、実際には限られた場所だけです。

東大寺大仏殿の裏に回るとほとんど人はいません。人をいれずに写真を撮るのは容易ですが、そもそもこのあたりには紅葉した木が少ないです。

そこから春日大社へ行くと、本殿の入り口横に辛うじてきれいに紅葉している場所がありました。

ちなみに紅葉時期に限らずおすすめの場所が春日大社の近くにある水谷茶屋です。
大正時代に建てられた建物なので、このあたりでは古くはないのですが、かやぶき屋根が周囲の景色と調和していい雰囲気です。

紅葉シーズンに奈良公園に行ったのは今回が初めてでした。京都の永観堂や東福寺などと比べて紅葉が密集していないので、私にはうまい構図で撮るのが難しかったですし、何より紅葉ポイントを探し求めて歩き疲れました・・・

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方情報♪(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山)
genre : 地域情報
2つだけでも三大○○
この話は以前にも書いたことがあるのですが、少し事情が複雑です。
というのも奈良の大仏と鎌倉の大仏は誰が考えても日本三大大仏に入ります。

ところが、あとのひとつが決まりません。
江戸時代までは京都の方広寺の大仏でした。大阪冬の陣のきっかけになった鐘のあるあの方広寺です。
ただ大仏は現存はしておらず、今は下の写真のように大仏殿跡地を知らせる案内板のみです。

その後、戦前は明治に造られた能福寺の兵庫大仏が日本三大大仏の三番目の地位にありました。下の写真が兵庫大仏です。

しかし、その兵庫大仏も戦争の影響でなくなり、しばらく三番目の地位は空席でした。

平成3年に兵庫大仏は再建されたものの、歴史の浅さゆえ日本三大大仏に入れるのに異論が唱えられ、いまでは全国各地20ほどの大仏がこの空席に名乗りをあげています。
別に無理からに「三大」にこだわらなくてもよいのではとも思いますが・・

にほんブログ村

人気ブログランキング

theme : 近畿地方(滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山)の各府県の駅前路線情報
genre : 地域情報
胴は鎌倉、頭は江戸

何度見ても大仏殿の大きさに圧倒されます。

そして大仏様。正式には「盧舎那仏座像」といいます。像の高さは14.7mあるそうです。
ちなみに大仏が作られたのは奈良時代ですが、当時のまま残っているのは台座だけで、焼失により胴体は鎌倉時代、首から上は江戸時代に作られました。

ここも以前に来た時と比べて外国人観光客が激増していました。大変な混雑ぶりです。
鹿はたくさん鹿せんべいをもらっていましたから喜んでいるでしょうが・・

こうなるともう早朝に訪れるしかありませんかね。

にほんブログ村

人気ブログランキング

秀長の城
私は郡山城は豊臣秀吉の弟の豊臣秀長の居城としての印象が強いです。この人が長生きしていたら秀吉の後半の「悪政」は抑えられたという見方もあるくらいの有能な人です。
下の写真は天守ではなく東隅櫓で、1984年に再建されたものです。桜の季節はこの櫓周辺が撮影スポットになります。

今は天守はありません。訪れたときは石垣の修復工事中で天守台にも行けませんでした。ここからの眺めはいいそうなのですが・・
(ちなみに現在は工事も終わり天守台は展望台としてオープンしています)

追手門と追手門前櫓です。こちらも秀長築城当時に近い形で再建されたものです。

ということで石垣以外当時の遺構はほぼ残っていません。唯一、近くにある永慶寺の山門が郡山城の南門を移築したものとして知られています。

郡山城址には郡山高校があるため、近鉄郡山駅からだといったん城と反対の東側に出てから歩くのがよいと思います。私は地図で見て近道に思えた西から行きましたが、高校の敷地を通れない上に大きな池もあって、結局は遠回りになりました。

にほんブログ村

にほんブログ村


theme : 近畿地方情報♪(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山)
genre : 地域情報