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「京都 」カテゴリ記事一覧


京都の「二大いちゃもん事件」

京都大徳寺は1315年に創立され、20を超える塔頭を有する大きな禅宗寺院です。
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禅宗寺院の伽藍配置は下の写真のように山門や法堂が一直線に並びます。大徳寺の一般参拝客は通常この伽藍内に入ることはできません。
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伽藍の中でも有名なのは「利休木像事件」で知られる山門の金毛閣です。この金毛閣の2階に千利休の木像を置いたことで、豊臣秀吉は山門を通るたびに利休に足で踏みつけられていると激怒し、切腹させるに至ったという話です。
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そして、利休の首は一条戻橋で自身の木像に踏ませる形で晒されたと伝わっています。この「利休木像事件」は京都の「二大いちゃもん事件」と言われています。確かに木像を置いたのは大徳寺ですし、完全に「いちゃもん」です。
天下人になり、傍若無人になった秀吉らしい話ですが、利休の切腹理由は、この木像事件以外にも諸説あります。しかしどれも決め手に欠け、真相は謎とされています。
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歴史好きからするとじっくりと見たい大徳寺金毛閣ですが、伽藍内には入れないので山門に近づくことはできません。写真も柵の隙間や上から盗撮のようにして撮るしかありません。
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ただクラウドファンディング20万円を寄付すれば、そのリターンとしてこの山門の下をくぐれるそうですが…(`o´)
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ちなみに京都の「二大いちゃもん事件」のもうひとつは、徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣のきっかけとされる「方広寺鐘銘事件」です。方広寺の鐘に豊臣秀頼が刻んだ「国家安康 君臣豊楽」という銘文に徳川家への悪意があると「いちゃもん」を付けました。
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これらの京都二大いちゃもん事件」をドラマで描くには、ある程度いちゃもんをつけた側の秀吉家康を悪者にしないと成り立ちません。大河ドラマどうする家康」では「方広寺鐘銘事件」をどう扱うのか楽しみです。

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御土居の痕跡

大河ドラマ「どうする家康」は織田信長が殺され、次は豊臣秀吉が天下統一に動き出します。

豊臣秀吉は京都を外敵と鴨川の氾濫から守るために御土居(おどい)という堤防を築いて町を囲みました。御土居の囲む範囲は南北約8.5km、東西約3.5km周囲約22.5kmにも及びました。

現在では御土居はほとんど壊されてしまい、辛うじて地名に残っている場所もあります。
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そのような中で今も残る御土居9ヵ所が国の史跡に指定され、史跡以外でも部分的に残っている場所が数ヵ所あります。
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これまで北野天満宮の敷地に残る御土居を見たことがありますが、今回は御土居の北部分の3ヵ所の痕跡を見てきました。

まず大宮土居町玄琢下御土居です。約250mに渡り残っており、9ヵ所の御土居の史跡の中でも最も規模が大きく保存状態がいい御土居です。
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フェンスで囲まれ特別な許可がないと入れません。「ブラタモリ」で御土居が取り上げられたときはここからのスタートでした。
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そこから歩いてすぐの場所に大宮交通公園があり、その敷地にも御土居の一部が残っています。
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ここは史跡に指定されておらず、自由に御土居の上に上ることができます
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しかし、子どもたちが御土居の上からソリで滑って遊んでいるうちに盛土がえぐれてしまい、貴重な御土居がダメージを受けていることがニュースになりました。そのため今は「山に上ったりすべったりしないで」という注意書きがあります。
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そして加茂川中学校の北にも御土居の痕跡があります。ここは御土居の北端になります。(1枚目の解説板写真の北の尖った部分)
ここは史跡に指定されていて入ることはできません。
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御土居の外側の堀も残っていますが、現在は暗渠になっています。下の写真の歩道の下が掘です。
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こうして御土居の痕跡は京都市内のところどころで確認できます。しかし御土居というものを知らなければ単なる盛り土で歴史的価値があるものだとはわかりません。そこが巡っていておもしろい部分でもあります。
意外なところではJR京都駅0番線のりば御土居だったといわれています。

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いよいよ敵は本能寺

大河ドラマ「どうする家康」で今夜はいよいよ「本能寺の変」が描かれます。
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織田信長の居城だった安土城本能寺の変の直後に何者かに燃やされ、現在は石垣や礎石などの遺構が残るだけです。
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安土城跡の近くにある「信長の館」(改修工事で休館中)には天主の5・6階部分が復元されています。これが燃やされずに現存していたら国宝クラスだったでしょう。
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豊臣秀吉、徳川家康が病気で亡くなったのに対して、織田信長は部下の明智光秀に殺されるという最期でしたし、その経緯や遺体の行方など不明なことが多く、ドラマではいろいろな解釈で衝撃的に描かれます。さて今回の「どうする家康」ではどうでしょう。
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信長を祀る神社

京都建勲神社です。正式には「たけいさお」と読みますが、「けんくん」と読む人も多いです。私もそうです。
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この神社が祀っているのは戦国武将の織田信長です。信長が好んで舞った「敦盛」の一節が刻まれた碑がありました。
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明治2年に明治天皇の命により、織田信長の功績を称えこの神社が創建されました。ですから神社の歴史は比較的新しいですが、本殿、拝殿は国の登録有形文化財に指定されています。
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神社は前回紹介した船岡山の中腹にあり、麓からの高さはそれほど高くないものの、京都市内がきれいに見えます。下の写真に写っている建物は貴賓館で背景の山は比叡山です。
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本殿からさらに山道が続いていて船岡山山頂に行くことができます。
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現在放映中の大河ドラマ「どうする家康」では織田信長岡田准一さんが演じています。次回放送では有村架純さん演じる妻の瀬名を家康が殺害する「築山事件」が描かれますが、その3年後に本能寺の変が起こります。岡田准一さんの出番もあとわずかです。

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少し怖い船岡山

京都市船岡山です。山といっても市街地にボコッとある独立した丘のような山です。地学上は隆起した山だそうで、山全体が国の史跡に指定されています。
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標高111.7mの低い山ですが、山頂にはちゃんと三角点が設置されています。
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すぐ近くに大文字山が見えます。五山の送り火のときは多くの人が集まる人気のスポットです。
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麓の船岡山公園には昭和10年に設置されたラジオ塔が残されています。テレビはもちろんラジオも家にない時代でしたので、広場にあるラジオ塔は貴重な情報収集のツールでした。
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平成27年に往時の姿のまま受信器と拡声器が設置されてラジオが流れるようになりました。復活後ここでラジオ体操が行われたそうです。
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平安京が廃れ始めると、それまで貴族の遊宴の地だった船岡山葬送の地になりました。また応仁の乱のときは多くの人の血が流れた場所で、山頂への道端には今でも野仏が多く残っています。現在は市民の憩いの場になっていますが、夕暮れ時の人の少ない時間の散歩は何となく抵抗があります…

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いつの間にか中心から外れていた

羅城門平安京のメインストリートだった朱雀大路の南端に建てられていた大門です。いわば平安京の入り口です。980年に倒壊したのを最後に姿を消しました。今は正確な位置はわかっていませんが、幅36m高さ21mの大門だったと考えられています。推定地の小さな公園に『羅城門遺址』の石碑があります。
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そして羅城門を挟んで対称の位置に東西2つの寺院が建立されました。東に建てられたのが東寺です。これは今も現存する大きな寺院で、五重塔は京都のシンボルです。
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それに対して西に建てられたのが西寺ですが、こちらは現存しません。鎌倉時代には廃寺になっていたと考えられています。発掘調査が行われ、跡地の一部は「唐橋西寺公園」になっています。下の写真の少し盛り上がった部分は講堂跡です。
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西寺東寺と同規模で、東西250m、南北510mもある広大な寺院でした。しかし西寺の周辺は水浸しで住みづらい場所だったことから平安後期には人が住まなくなり、寺も廃れました。
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そのため平安京の中心も東へ移動しました。もとは羅城門を北上すると御所がありましたが、その後、京都御所は東へ1.5km移動しています。下の写真は現在の京都御所です。
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こうして当初は平安京の中心だった羅城門西寺はいつの間にか中心から外れ、再建されることもなく消えました。
西寺跡にはいつか行こうと思っていましたが、周辺にはほかに見るべきスポットもなく、わざわざこの辺りに行く機会がありませんでした。しかし、先月にNHK「ブラタモリ」でここが取り上げられているのを見て、この機会にと訪れた次第です。

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どうしても日本最古になれない駅舎

昨日は北海道最古の木造駅舎である旧室蘭駅舎を紹介しましたが、今日は山陰本線の旧二条駅舎京都市)です。
明治37年に完成した檜造り入母屋瓦屋根の立派な駅舎です。
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二条城に近いこともあり、寺社のような和風建築で、中央には車寄せがあります。現在は駅舎としての役割を終え、京都鉄道博物館に移築され、鉄道博物館のショップとして活用されています。
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かつては「現役最古の駅舎」といわれることがありましたが、それは誤りらしく明治19年築の亀崎駅(愛知県)が最古とされています。
また「現存最古の駅舎」ともいわれましたが、それも明治15年築の旧長浜駅(滋賀県・下の写真)が最古です。確かに明治37年築旧二条駅よりは20年も古いです。
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それではということで「入母屋造りの日本最古の駅」と苦し紛れとも思える肩書もありましたが、それさえも旧二条駅以前に建てられた入母屋造りの駅舎はいくつも現存しているそうです。
このように、どうしても「日本最古」にはなれない旧二条駅ですが、貴重な駅舎であることには間違いなく、京都市指定有形文化財に指定されています。旧室蘭駅舎は「北海道最古の木造駅舎」ですから、旧二条駅舎も「京都最古の木造駅舎」でいいのではないでしょうか。

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やっと見た飛雲閣

先週のNHKブラタモリ京都の山科にあった山科本願寺について触れていました。土塁と堀に守られた巨大な要塞のような寺だったようです。大阪城の場所にあった石山本願寺も要塞のような寺であの織田信長も10年かけても攻略できませんでした。信長から和睦の申し出があったときにそれを受け入れるかどうかで本願寺内部が2派に分かれてしまい、それが現在京都西本願寺(和睦派)と東本願寺(抗戦派)がある理由です。
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山です。下の写真は総門からみた御影堂門です。たまたま車は写っていませんが2つの門の間に国道1号線が通っています。
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御影堂門から入ると正面が御影堂、その右隣りが阿弥陀堂です。両方とも国宝建築です。西本願寺には国宝建築が多くあります。
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境内の南にある唐門国宝です。豊臣秀吉の聚楽第の遺構という説もあります。豪華絢爛な外観は秀吉の好みのように思えます。
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そして今回の目的だった飛雲閣です。国宝の三層楼閣で、金閣銀閣と並んで「京の三名閣」と呼ばれています。ここも聚楽第の遺構という説があります。かねてから見学したかったのですが、通常は非公開で稀に公開されます。公開期間が短いことも多く、常にチェックしていないと見逃してしまいます。今回はたまたま公開終了間際に知って、終了3日前に訪れました。(21日で公開終了)
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かつて建物に入るのは池から舟で入るしか方法がありませんでしたが、今は池に石橋が架けられ、歩いて入れるようになっています。ただ公開期間でも建物内部には入れませんでした。
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2階には回廊があり、板戸には三十六歌仙が描かれています。3階は滴星楼と呼ばれる小さな展望室があるだけです。
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建物は全体的に左右非対称で、破風の形も左右で異なっています。窓のデザインも統一されていません。それが飛雲閣の味わいになっています。
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飛雲閣以外にも国宝書院も特別公開されていました。内部は撮影禁止なので写真はありませんが、美しい金碧障壁画や重厚な彫刻で飾られており、現存する最古の能舞台も見どころです。
建物を見るのであればこうして西本願寺の方が見応えがあるかもしれません。

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大きすぎた相国寺

前回紹介した幻の七重大塔があった京都の相国寺足利義満の命で創建された寺で、京都五山第ニ位の名刹です。境内には12の塔頭がありますが、離れている鹿苑寺(金閣寺慈照寺(銀閣寺相国寺の塔頭寺院です。
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総門を入って左にあるのが天界橋です。寺と御所との境界線の役目から名付けられました。現在の橋材はその当時の旧材です。
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鐘楼洪音楼という名で1843年に再建されました。とにかく大きな鐘楼です。中に吊るされている鐘は1629年造立です。
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豊臣秀頼の寄進により完成した現在の法堂現存する日本最古の法堂として重要文化財に指定されています。天井に描かれている狩野光信作の「鳴き龍」は有名です。
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禅宗の伽藍の配置は南北に山門・仏殿・法堂・方丈が一直線上に並んで建てられているのが特徴です。相国寺も上の写真の法堂の北側に方丈が建てられています。
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庫裏「香積院」は方丈から繋がっています。切妻妻入で、大きい破風や壁面が特に印象的です。
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そもそも創建時の相国寺144万坪(東京ドーム100個分)のとてつもない広さがあったと伝わっています。しかし明治時代になると廃仏毀釈で寺は困窮し、伊藤若冲の絵を売るなどして維持に努めましたが、多くの敷地はが失われ、現在は創建時の36分に1になりました。すごく小さくなった印象を受けますが、それでも東京ドーム2個分以上の面積です。改めて創建した足利義満の権力の大きさがわかります。

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東寺五重塔を超える幻の大塔

先週のNHKブラタモリ京都東寺でした。番組でも取り上げられていましたが、東寺といえば日本で現存するもっとも高い木造の塔である五重塔が有名ですが、今から600年前、京都にはそれをはるかに超える高さの七重塔がありました。
室町時代足利義満相国寺に建立した塔で、高さは109mあったと伝わっています。東寺五重塔高さ55mですから、その倍の高さの規格外の塔だったようです。
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この七重塔は建立後に何度となく焼失しては再建されましたが、1470年に焼失したのを最後に再建されなくなりました。室町幕府の権力が衰えたのですね。

この塔があったとされる場所に行きました。そこには案内板と碑がありました。上の七重大塔のCG写真も案内板にあったものです。
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ちなみに碑を見るとここには幕末には西郷隆盛の邸宅もあったようです。さらに驚いたのはノーベル賞学者の湯川秀樹氏も住んでいたようです。すごい場所ですね。
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塔のあった相国寺は今も大きな寺院ですが、当時はそれ以上にとてつもなく大きかったようです。かつての敷地には今は同志社大学同志社女子大学があります。
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相国寺は室町将軍の足利義満の力を誇示するために建てられた寺といわれています。塔があったとされる場所の道路をはさんだ南には京都御所があり、ここに100mを超える七重大塔を建てるということはほとんど真上から天皇を見下ろすことになります。おそらくこれも権力の誇示でしょう。
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この七重大塔が幻といわれるのは正確な場所が特定されていないからです。昔の絵図塔之段町という地名からこのあたりに実在したことは間違いないようですが、いつか何かしら発掘・発見されれば塔の正確な位置や規模もわかるかもしれません。おそらくこのあたりの建物の下に礎石が埋まっているのでしょう。

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