保存されている野島断層
当時の淡路島の被害を後世に残すためにできた「北淡震災記念公園」に行きました。

野島断層保存館では淡路島に現われた10kmに及ぶ野島断層の一部をそのまま保存しています。

横にずれた畔道も当時のまま残されています。下の写真の青と青、赤と赤の部分がつながっていましたが、大きくずれているのがわかります。

この野島断層が横切る民家もメモリアルハウスとして当時の状態で保存されています。

内部には地震によるずれがわかるよう展示してありますが、そもそも断層の上に建っていながら倒壊しなかったことに驚きます。

また第二次世界大戦の戦火に耐え、さらに阪神淡路大震災でも揺れと火災に耐えた神戸市長田区の公設市場の防火壁もここに移され「神戸の壁」として保存されています。

野島断層は国の天然記念物に指定されています。国の天然記念物というと貴重な動植物や昔の地層などの印象がありますが、このような最近の活断層も対象なのですね。確かに、当時の地震の規模を伝え、震災の記憶を風化させないための貴重な施設です。
折からのコロナ禍で、阪神淡路にしても東日本にしても震災のことが忘れられつつあります。事実、東京オリンピックも「東日本大震災復興の証しとして」という文言がいつのまにか「コロナに打ち勝った証しとして」にと変わっています。

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包囲するは豪華顔ぶれ!

この三木城が有名なのは城主・別所長治(下の写真)と豊臣秀吉との戦い「三木合戦」です。
中国地方の毛利氏を征するためにこの地が必要だった織田信長は、豊臣秀吉に命じて三木城の攻略にかかります。
長期戦を覚悟して籠城した別所長治に対して、秀吉は城への補給路を断ちました。2年近く経過すると、城内の兵糧は尽き、籠城していた人々は軍馬や牛、城内に生える草木の根にいたるまで食べつくし、餓死者が多く出ました。世にいう「三木の干し殺し」です。

結局、別所長治は残された者の助命と引き換えに切腹し、凄惨な戦いは終わりました。
天守があったと伝わる小高い場所には「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」という別所長治の辞世の句が刻まれた碑が立っています。

二の丸跡には「みき歴史資料館」があります。
館内は、6つの時代に分けて、三木の歴史や歴史資料を分かりやすく紹介しています。

その中に、三木城や三木合戦に関するコーナーがあり、法界寺に現存している「三木合戦軍図」の複製掛け軸は必見です。

戦国時代のドラマでも「三木合戦」が描かれることがよくあります。三木城を包囲した面々も大河ドラマでお馴染みの豊臣秀吉を筆頭に黒田官兵衛・竹中半兵衛や今回の大河ドラマ「麒麟がくる」でお馴染みの明智光秀・細川藤孝などそうそうたる顔ぶれでしたので、一度行ってみたいとは思っていました。
三木城跡とそれを取り囲む食糧補給路を断つために築かれた付城や土塁の遺跡群が戦国期の合戦の過程や全容を把握する上で重要な史跡だとして、平成25年に国の史跡に指定されました。マニアックな歴史ファンは三木城だけでなく山中に残された付城や土塁の跡も辿るそうです。

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北野天満宮の七不思議

【不思議1】 影向松
大鳥居をくぐってすぐ右手にある一本松。立冬から立春までに初雪が降ると天神様が降臨し、ここで詩を詠まれるという伝説があります。

【不思議2】 筋違いの本殿
神社は普通鳥居から参道をまっすぐ行くと本殿がありますが、ここは途中で参道が左に折れています。参道正面には地主神社があり、あとから本殿を建立したからだそうです。

【不思議3】 星欠けの三光門
三光門は本殿の前にある中門です。名前の「三光」は太陽・月・北極星の3つを表します。しかし門には太陽・月の装飾(下の写真)はありますがなぜか北極星だけがありません。


【不思議4】 大黒天の燈籠
三光門の南東に大黒天の燈籠があります。台座の大黒天の口に小石を乗せ落ちなければ金運に恵まれるそうです。

ただ多くの人が挑戦したためか口がつるつるで傾斜がついているので小石が乗るのはほとんど不可能な状態です。

【不思議5】 唯一の立ち牛
拝殿欄干に刻まれている牛は境内で唯一立ち姿の牛だそうです。後ろ足だけが立っています。

【不思議6】 裏の社
本殿の後ろに「御后三社」は菅原道真の先祖・祖父・父が祀られています。これが本殿と背中合わせに建っているので、本殿とは反対を向いてお参りすることになります。

【不思議7】 天狗山
境内の北西角にある小山は天狗が出没したという伝説があります。(訪問時は大雨による倒木で立入禁止でした)
以上が北野天満宮の七不思議といわれるものです。いずれも単なる伝説や理由がわかっているものが多くあまり「不思議」ではない気がします。あえて言えば「星欠けの三光門」が一番の不思議ですね。いずれにしても、このような七不思議の存在を知っていて探しながら参拝すると楽しさが増すことは確かです。

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疫病退散の神様でもあった!?

その境内にはたくさんの見どころがあります。
普通に参拝すると気づかない駐車場の奥に太閤井戸があります。豊臣秀吉が北野大茶会で水を汲んだと伝わる井戸です。

境内にはたくさんの「牛像」があります。これは菅原道真が丑年生まれで、墓所を決めたのも牛であったなど牛に関わる伝説が多く伝わります。年末には大きな牛が「参拝」に訪れたニュースが流れていました。丑年の今年はお参りに来る人も多いと思います。

本殿前の三光門は重要文化財です。

国宝である本殿は豊臣秀頼が造営したもので、絢爛豪華な桃山建築です。

そしてぜひとも見ておきたいのは「御土居(おどい)」です。

「御土居」は豊臣秀吉によって造られた土塁で、京をぐるっと取り囲んで防御しました。現在はほとんど残っていませんが、ここ北野天満宮など数カ所にその一部が残っています。

北野天満宮ではお正月の縁起物として「大福梅(おおふくうめ)」が授与されます。平安時代の疫病流行の折に村上天皇がお茶に入れて飲み、病いが治ったことから、元旦のお茶に入れて飲むと無病息災に効くとされています。今年は授与日程が年内に前倒しされ、郵送受付も含め1袋6粒入り700円の大福梅3万袋があっという間に完売となりました。コロナウィルス退散を皆が願う今年は「学問の神様」以上に「疫病退散の神様」で参拝客が増えそうな北野天満宮です。

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初詣は近所、しかも年末

境内には舞殿(能舞台)があり、毎年7月には富松薪能が行われます。昨年は中止になりました。今年は7月26日に予定されています。

本殿の横にある巨大絵馬です。今年で18回目の巨大絵馬には毎年その年の干支と富松で生まれたとされる鬼の「茨木童子」が描かれるのが恒例です。今年は干支の牛にまたがった童子がワクチンのかばんを持っています。

小さいですが歴史ある神社で、奈良時代にはすでにあったようです。近くには富松城址がありますが、この神社は西富松城だったという説もあります。地元の尼崎信用金庫のCMでもロケに使用されており、地域に親しまれている神社です。
今年は遠方の大きな有名寺社ではなく、私のように地元の小さな寺社にお参りした方も多いのではないでしょうか。

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今年こそ煩悩払え除夜の鐘
掃除や片付けもほぼ終わり、あとは除夜の鐘を待つだけです。
ちなみに下の写真は京都の知恩院の大鐘です。日本三大梵鐘(知恩院・方広寺・東大寺)の1つで、親綱を引く僧侶と子綱を引く16人の僧侶で大きな掛け声のもと、撞き手が撞木に仰向けにぶらさがるようにして、体全体を使って大鐘を打ち鳴らします。

27日はその試し撞きだったのですが、今年は僧侶だけで行われました。31日の除夜の鐘も同じく僧侶だけで行われます。
下の写真は昨年の試し撞きの日の朝の写真です。私は知らずに訪れたのですが、すでに場所を確保して待っている人もいました。今年はこのような光景もありません。

最近は除夜の鐘が近所迷惑だというクレームから昼に鐘を撞いたり中止したお寺が増えています。年に一度のことで、しかも除夜の鐘なのに世知辛いなあと思います。世の中から心の余裕が消えつつある証しですが、これは新型コロナ感染拡大における理不尽な「自粛警察」や「コロナ差別」などと通じる部分があるように思います。世界史で中世の魔女狩りについて科学のない時代はこうなると習いましたが、どうしてどうして科学の進歩した今もあることを知りました。今年はコロナをきっかけに日本人(人間)の醜い面を見せられた1年でもありました。
こんな年だっただからこそ、大晦日には各地の寺院は除夜の鐘を撞いて煩悩を払ってほしいです。


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ツリーで時の速さ感じる
この時期に買い物のついでに大阪・梅田のクリスマスツリーを見るのが私の恒例でした。しかし、今年はコロナ感染拡大で12月には大阪に行けないだろうと予想し、11月中旬に行ったついでに早々と飾られていたクリスマスツリーの写真を撮っておきました。(せめてブログへの掲載はこうしてクリスマス時期に合わせました)
梅田のツリーの中でもちゃやまちアブローズタワーとグランフロント大阪の2カ所のツリーはここ数年続けて見ています。
まずはちゃやまちアブローズタワーのツリーです。高さは約10mあります。

ちなみに昨年の2019年のツリー

そして一昨年の2018年のツリー

3年前の2017年のツリー このように毎年変化しています。

そしてグランフロント大阪のツリーです。
2020年は『Winter Voyage Tree』という気球をモチーフにしたクリスマスツリーです。こうなるともはやツリーではない・・

2019年は『Brilliant Tree』というタイトルの高さ8mのツリーでした。

2018年は約2万5000個のスワロフスキークリスタルで飾られた『Sparkling Ray』

2017年は赤をテーマにした『Red Rose Blossom』

中でも上の写真のグランフロント大阪の大きな赤いバラのツリーのゴージャス感が印象的でした。このツリーは2017年でしたので、あれから3年も過ぎたのかと驚いています。そもそもグランフロント大阪が出来たのもつい最近だったような気がしていましたが、開業は2013年、つまり7年前なのですね。ボーっとしている間にどんどん年齢だけは猛スピードで重ねていることを実感します。

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石垣の斜め線&転用石に注目

まずは昇龍橋です。きれいな曲線を描く橋です。この橋を渡らずに天守へ行く経路もありますので、ぜひ渡っておきたいところです。

歴史的な価値のある橋ではないようですが、形が美しいので写真映えする橋です。

廃城令で破壊を免れた銅門番所は大正5年に二の丸から天守台に移築されました。福知山城で唯一の現存建造物です。訪れたときはここでお茶会が催されていました

「豊磐(とよいわ)の井」は深さ50mあり、城郭内湛水井としては日本一の深さです。天守入り口前にあります。ここが海抜30mですので深さ50mの凄さがわかります。

石垣をよく見ると斜めの線が入っているのがわかりますでしょうか。これは石垣が増築されたことを物語っています。

右が明智光秀時代の石垣で、左が江戸時代に増築された部分だそうです。知らなければおそらくスルーでしょう。

この城の石垣には「転用石」が多く使われているのも特徴です。「転用石」とは、もともと供養塔や墓石、石仏などだった石造品が石垣に利用されたものです。石垣のあちこちに使われています。

再建工事の時に300以上の転用石が出土し、城の前に並べられていました。よく織田信長が石仏などを石垣に使うことを非道とする向きがありますが、明智光秀もやっています。当時は急ぐ築城の際は行われていたようです。ただ福知山城はその転用石が多いことでも知られています。


大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀ゆかりの福知山城は、歴史的価値もあり、続日本の100名城にも選ばれました。城だけでなく周辺にも見どころの多い町です。

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丹波平定の象徴

明治の廃城令で取り壊されましたが、市民の熱意により、昭和61年に3層4階の天守が再建されました。

石垣は 築城当初の面影を残すもので、福知山市指定文化財となっています。

「望楼からの城下の眺めは抜群です」ということですが、天守に登ったときはモヤがかかっていました。

それでも気温が上がるにつれて少し青空が見えるようにはなってきました。

城の近くを由良川が流れています。この川が度々氾濫して洪水になるので、明智光秀は堤防代わりに竹を植えて城下町を守ったといわれています。下の写真の緑の木々がそれで「明智藪」と呼ばれています。

城の前には「ゆらのガーデン」というエリアがあり、芝生広場のまわりに7つのおしゃれな店が並んでいます。このときは訪れた時間が早くまだ開店していませんでした。

このゆらのガーデンの前に広い無料駐車場があります。城へ行くにはここへ駐車すると便利です。
私が子どもの頃は福知山と言えばめちゃくちゃ田舎で、車でも列車でも「遠路はるばるやって来た」という場所でした。今は高速道路も通り、この日も自宅のある阪神地区から出かけ、夕方には帰宅しました。「麒麟がくる」でもそろそろ丹波地方が登場するでしょうし、地元もドラマ終盤の最後の盛り上がりでしょう。

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残したい「忠臣蔵」
兵庫県赤穂市にある赤穂城跡です。言わずと知れた「忠臣蔵」の赤穂四十七士のふるさとです。
大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士が藩主・浅野内匠頭の仇討のために吉良上野介邸に討ち入ったのが元禄15年(1703年)12月14日(旧暦)でした。つまり次の月曜日ですね。
赤穂城跡は国の史跡に指定されており、段階的に整備・復元されつつあります。下の写真は本丸門です。

城には立派な天守台がありますが、一度も天守は築かれませんでした。修復されていますが築城当時のものです。

天守台の上からの眺めです。本丸には本丸御殿の間取りが記され、刃傷事件後に大石内蔵助らが大評定に集まった場所もわかります。さらに発掘調査でみつかった庭園なども復元整備されています。

二之丸庭園は1998~2001年に全面発掘調査が行われ、庭園として復元されました。

大石神社は大石内蔵助・藤井叉左衛門両家老屋敷跡にあります。参道には四十七士の石像が並んでいます。

赤穂市立歴史博物館は赤穂城内の米蔵があったところに建っています。ということで建物の西側外観は5連の白壁土蔵を模しており、米蔵を再現したものになっています。展示は「赤穂の塩」「赤穂の城と城下町」「赤穂義士」「旧赤穂上水道」のテーマに分かれています。館内は撮影禁止です。

赤穂城は浅野氏には広大すぎたため財政難となりました。実際に訪れるとその広さがよくわかります。まだこれから調査・復元していくと思われる広大な空き地もあります。民家や高校も整備のため移転したそうです。かくなる上は立派な赤穂城址公園を完成させてほしいです。ただ、くれぐれも赤穂市も浅野氏のように財政難にならないように。

私が小中学生の頃は「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」「大岡越前」「銭形平次」「必殺仕事人」などなど時代劇の全盛期で、子どもの私でもよく見ていました。しかし今では時代劇はほぼ消滅し、「忠臣蔵」も忘れられつつあります。「残したところで何になる」と言われそうですが、後世に残したい話です。

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