水攻めのち猛ダッシュ!

大河ドラマ麒麟がくる」もいよいよ大詰めです。
明智光秀本能寺織田信長を討ったとき、羽柴(豊臣)秀吉は現在の岡山市北区高松にある高松城を攻略中でした。

香川の高松城と区別するため、岡山の高松城備中高松城と呼ばれることが多いです。現在は公園になっていて、城の痕跡はほとんど残っていません。
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この城は羽柴秀吉水攻めの城として有名です。高松城址資料館(上の写真の白い蔵の建物)へ行くとそのときの様子がわかります。
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石垣は築かれず土塁によって築城され、周囲は低湿地帯で天然の堀になっていました。
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築城年代は不明ですが、秀吉が攻めていたときの城主は清水宗治でした。
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低湿地帯の中にあるため攻めあぐねていた秀吉軍でしたが、黒田官兵衛の案で周囲に堤防を築き水攻めに転じ成功しました。
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この戦いの最中に本能寺織田信長明智光秀に討たれたという情報が入ります。秀吉はそれを伏せたまま毛利方と和睦を結び、城主清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために急いで軍を引き返しました。ここから京都まで10日で戻ったという伝説の「中国大返し」がこの場所からスタートしたわけです。


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自分で焼き自分で再建

比叡山の麓にある西教寺は1571年に織田信長比叡山焼き討ちの命で明智光秀らにより焼かれました。

その後、坂本城主になった明智光秀は西教寺の復興に尽力しました。下の写真の総門は坂本城から移築されたといわれています。
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明智一族の墓も境内にあります。今も光秀の命日には追善供養が行われています。
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本堂は焼き討ちの3年後に再建されました。国の重要文化財です。
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本殿の横にある客殿は豊臣秀吉の伏見城から移築されたといわれています。中の襖には狩野派の絵が描かれ、薬師如来像が鎮座しています。
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西教寺には4つの庭園があります。客殿庭園は背後の急斜面を利用した鑑賞庭園で、中央の池は琵琶湖の形を模しているそうです。
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穴太衆庭園は紅葉時期をはじめ、新緑やサツキ、雪の季節も見応えがある庭園です。
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敷地内の明智光秀資料館で展示されている「供養米寄進状」は光秀の優しさを語るときに出てくる資料です。戦死した家来に供養米を寄進しており、身分の低い足軽にも寄進していることが記されています。
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訪れるまでは小さなお寺だと思っていましたが、敷地も広大で多くの重要文化財の建物や仏像を有する大きな名刹でした。

比叡山の焼き討ちについて、今では明智光秀も積極的に関わったというのが定説になっています。自分で寺を焼き、その直後にはその寺を復興し、そこに明智家の墓があるという、実にわかりにくい状況です。


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私はインバウンドではない

まだコロナ流行前の外国人観光客がわんさかやって来ていた頃、大阪歴史博物館に行きました。確か3回目です。(現在は休館中)
大阪城のすぐ近くのこのあたりは法円坂遺跡という古墳時代大倉庫群のあった場所で、博物館の前にも一部復元されています。
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大阪歴史博物館の常設展示は3つのフロアに分かれています。

まず10階の古代フロアです。
奈良時代の難波宮大極殿での儀式が再現されています。
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そしてこのフロアの窓から実際の難波宮の大極殿跡を見渡せるのもなかなか効果的ですばらしい!
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こちらは後期難波宮の鴟尾(しび)の復元模型です。鴟尾というのは寺院など重要な建物の屋根に付けられる飾りの一種です。
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そして9階の中世近世フロアです。
おもに織田信長と戦った本願寺の時代の大阪が再現されています。
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ミニチュア模型も町人ひとりひとりに表情があってなかなか手の込んだ作りです。
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そして7階の近代現代フロアです。
大正末期から昭和初期の心斎橋道頓堀を再現しています。
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下の写真は難波宮跡の方から見た大阪歴史博物館(中央)です。左の高いビルはNHK大阪放送局、右は大阪府警です。
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数年前はそうでもなかったのですが、今(コロナ以前)では入場者の多くはアジア系外国人です。この日も開館5分前に着いたのですが、警備員さんは私に「Please wait 5minutes(5分待って)」と英語で話しかけてきました。私をインバウンドと思ったみたいです。「私は日本人です」というと「失礼しました 来るのはほとんどが外国人なものですから」と言われました。ここの入場券は大阪城天守の入場券とセットになっているものがあり、大阪城に来た外国人はこちらにも来るそうです。

関西も少しコロナの波が引きつつありますが、再びインバウンドでいっぱいの状況に戻るのはいつでしょうね。延々とコロナ流行が続くのは困りますが、外国人観光客が今ぐらいだと私としてはあちこちに出かける意欲が増すのですけど・・


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賤ケ岳が近くなる

我が家ではすっかり恒例となった敦賀フェリーターミナルへ行く前に寄る北陸自動車道賤ヶ岳サービスエリアです。
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そして、ここのレストラン山小屋」で夕食をとるのも恒例です。名前の通り、木のぬくもりを感じるレストランです。2016年にリニューアルされたばかりなのでとてもきれいです。
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さらに、近江名物の近江ちゃんぽんを注文するのもこれまた恒例です。近江牛をがっつりというメニューもあります。
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ところで、賤ヶ岳といえば賤ヶ岳の合戦で有名な場所です。織田信長亡き後の羽柴秀吉柴田勝家の争いです。
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この北滋賀あたりは高速道路で走り抜けるだけで古戦場などに行ったことはありません。小谷城も含め歴史好きの私としてはいつかはゆっくりと訪ねたい場所です。4月には賤ヶ岳にリフトがオープンするそうですので、これを利用すれば気軽に古戦場に行けそうです。



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九鬼水軍の城

JR・近鉄鳥羽駅から歩いて10分くらいの小高い場所に城山公園があります。いかにもインスタ映えしそうな看板がありました。(最近流行の看板ですね・・)
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さらにそこから少し上がった場所に鳥羽城跡があります。天守などの建物はありませんが、野面積みの石垣が残っています。
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とくに海に面した場所に残ったいる階段状になった石垣は圧巻です。人を遮断する高さと傾斜です。
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平成21年に移転した旧鳥羽小学校跡鳥羽城跡にあります。校舎は真珠で有名な御木本幸吉が建てた立派なものだそうで取り壊されずに残っています。
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山の頂上にある平らな本丸跡はその鳥羽小学校の運動場だったそうです。
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海に面した山の上ですので眺望はいいです。ミキモト真珠島鳥羽水族館が見えます。
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ところでこの鳥羽城は豊臣秀吉の家臣である九鬼嘉隆が築城した城です。九鬼水軍で有名な一族です。
城山公園を下った場所にある「門野幾之進記念館」の中で「九鬼嘉隆常設展」も行われています。
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私が九鬼嘉隆を知っているのは「鉄甲船」です。織田信長が毛利の水軍を破った要因となった頑丈な船で、これを作ったのが九鬼嘉隆でした。しかしその後、関ヶ原の戦いで味方した西軍が破れ、鳥羽沖の答志島で自害しました



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戦国の空気漂うSA

北陸道にある賤ヶ岳サービスエリアです。敦賀フェリーターミナルに向かう途中に寄りました。
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賤ヶ岳」と聞くと戦国時代に詳しい人は「賤ヶ岳の戦い」を思い出すでしょう。これは織田信長死後の覇権をめぐり、羽柴秀吉柴田勝家の間で起こった戦いです。ですから織田信長には直接ゆかりはないと思いますが、信長にちなんだ商品が並んでいます。
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ちなみに賤ヶ岳のある滋賀県のローカル商品のひとつが「サラダパン」です。秘密のケンミンショーでも紹介されたことがあります。これが大量に売られており、思わず1個買ってしまいました。
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サラダといっても中にはたくあんをマヨネーズで和えたものがはさまれているだけです。コリコリした食感は悪くはありません。
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窓からは、元祖ゆるキャラひこにゃんが見ていました。大きなぬいぐるみですが本当に中からこちらを見ているような気がしました。本物はもう少し下膨れですね。
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ここは山間にあり大雨通行止めになりやすい区間です。実際に復路は大雨で、私が通った直後に通行止めになっていました。


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朱色と桜色

比叡山は京都市内からケーブルなどを使えばすぐ行けますが、平均気温が5~6度低いです。
ですから桜が終わった時期でもまだ楽しめます。
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延暦寺法華総寺院東塔阿弥陀堂が並んでいる前のしだれ桜はなかなか見事です。
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新緑と桜のコントラストが美しかったです。
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ここは織田信長焼き討ちで焼失しました。最近になってようやく再建されたこともあり、きれいな朱色をしています。
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新しい建物の色と花の色がさらに互いの美しさを引き立てていました。



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西塔エリアは人少なめ

比叡山延暦寺西塔エリアです。前回紹介した東塔エリアから歩いて20分くらい離れています

まず最初にあるのが2つのお堂。左に常行堂
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右に法華堂
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常行堂と法華堂は同じ形をしています。そしてこの2堂は渡り廊下でつながっており、俗に「にない堂」と呼ばれています。延暦寺の紹介で必ず登場します。重要文化財です。法華と念仏が一体であるという延暦寺の教えを表現しているそうです。
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西塔エリアの中心釈迦堂です。ここも.織田信長焼き討ちにあっています。現在の建物は豊臣秀吉園城寺三井寺)の弥勒堂を移したものだそうです。
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浄土院です。最澄の御廟所で、比叡山で最も清浄な聖域とされています。
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東塔エリアよりも北に1キロのこの西塔エリアは美しい木立に囲まれ荘厳な雰囲気が漂います。
東塔エリアよりも人は少なめです。さらにここから離れた横川エリアはもっと人は少ないようです。歩くと1時間以上かかります。(私も横川まで行きませんでした・・)

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延暦寺の中心は東塔エリア

比叡山3つの地域に分けられ、それを総称して比叡山延暦寺といいます。
その中心が東塔エリアです。
根本中堂国宝)は比叡山第一の仏堂で、本尊は最澄が刻んだといわれる薬師如来像です。
ただ根本中堂は平成28年から10年かけての大改修の最中で、全貌を見ることはできません。知人はそれを知らずに行ってがっかりしてました。
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戒壇院釈迦如来を中心に両脇侍に文殊菩薩弥勒菩薩が祀られています。天台宗の僧侶が受戒する重要なお堂で、828年に創建されましたが、現在の戒壇院は1678年に再建されたものです。
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法華総持院東塔です。最澄が建立した日本全国6カ所の宝塔を総括する宝塔で、根本中堂と共に重要な信仰道場です。織田信長焼き討ちから400年経過した1980年に再建されました。
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阿弥陀堂は先祖・故人の供養をするお堂です。東塔と.並んだ姿は絵になります。
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大講堂は学問修行の道場です。昭和31年に焼失し、.現在の建物は坂本の讃仏堂を移築したものです。
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文殊楼は比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門です。文殊菩薩が祀られ、受験生の合格祈願に人気があります。中に入れますが階段の急なこと半端ありません。
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東塔エリアは延暦寺発祥の地ですので、このように重要な堂塔が集まっています。


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日本三大土塀というのがある

名古屋熱田神宮に行ったときにあったのが信長塀という土塀です。
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織田信長桶狭間の戦いの前にここへ参拝し、勝利した御礼として奉納したといわれています。
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案内板にはこの土塀は「日本三大土塀のひとつで、あとの2つは京都三十三間堂の太閤塀兵庫西宮神社の大練塀だと書いてありました。
残りの2つの土塀は比較的家の近くなので、その後それぞれを見に行きました。
京都三十三間堂の太閤塀です。
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豊臣秀吉によって南大門とともに寄進された塀です。三十三間堂の南端にありますが、柵があり触れることはできませんでした。柵の間からカメラを入れて撮りました。
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そして兵庫西宮神社の大練塀です。
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境内を囲む全長247メートルの練塀です。中から室町時代の古銭が発見されたので土塀も同時代のものとされています。
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日本三大○○というのはよくありますが、土塀にまであったのですね。


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