伏見城と伏見桃山城の違い

伏見桃山城」です。でも歴史上「伏見桃山城」という城はありません。歴史に出てくるのは「伏見城」です。
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伏見城」は、豊臣秀吉徳川家康が京都市伏見区桃山の丘陵に築いた3つの城の総称です。総称というのは倒壊などで少しずつ違う場所に建て替えられたからです。

1つ目指月伏見城豊臣秀吉が築城しましたが地震で倒壊し、すぐ近くに2つ目木幡伏見城を築城。これも関ヶ原の戦いのときに焼失し、徳川家康が再建したのが3つ目伏見城です。その後、明治の廃城令で取り壊され、伏見城は完全に姿を消しました。

しかし、門や床板などはあちこちに移築されて残っています。
たとえば西本願寺の唐門は伏見城から移築されたという伝承があります。
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同じく豊国神社の唐門も伏見城のものだったといわれています。とにかく豪華絢爛です。
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また伏見城での壮絶な戦いで、徳川方の武士が自刃した際に付いた血の手形や足形が残る床板を天井板に再利用したと伝わる「血天井」をいくつかの寺院で見ることができます。写真は洛北の源光庵の血天井です。
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現在の伏見桃山城運動公園にある天守は豊臣秀吉徳川家康の「伏見城」とは全く別のものです。場所も違います。
これは1964年に開園した遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として建築された模擬天守です。このキャッスルランドは2003年に閉園となり、城も取り壊される予定でしたが、存続を求める要望があり残されました。
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かつては内部には歴史資料が展示され、最上階まで上がれましたが、今は入ることはできません。
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隣接する野球場のライト方向に鎮座する天守の姿は圧巻というか違和感というか、珍しい光景です。
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天守には歴史的価値はありませんが、桜の時期にはソメイヨシノ紅枝垂れ桜が咲き人気のスポットになっています。


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光秀の胴と首の行方

本能寺の変のあと、秀吉との山崎の合戦に敗れた明智光秀は近江の坂本城へ敗走中、現在の京都市伏見区小栗栖の藪の中で落ち武者狩りに遭い殺害されたとされています。
家来は切断された光秀を埋めたものの、掘り出され秀吉に差し出されたと言います。

その明智光秀の胴を供養する碑が殺害されたといわれる明智藪の2kmほど北にあります。
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明智光秀の「胴塚」は昔からあったそうですが、昭和になって石塔が建てられ、その後今の場所に移されたとのことです。
コイン精米所のとなりの交通量の多い道路の脇にひっそりとありました。
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それに対して「首塚」はさらに離れた京都の三条にあります。風情ある白川のほとりに「餅寅」という和菓子屋さんがあり、その横の路地を入ります。
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路地を10mほど入ると小さな五重の首塚があります。
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首塚の前には小さな祠が建てられています。維持管理されているのは路地入り口の和菓子屋さんだそうです。
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亀岡の谷性寺にも光秀の首塚があり、墓もいくつかの場所にあります。それぞれに真偽のほどは定かではありません。
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そうだとしても、首塚がこのような目立たない路地裏にひっそりとあるのはやはり謀反人としての扱いなのでしょうか。

いよいよ「麒麟がくる」も日曜日で最終回です。明智光秀は死なずに生き延びて徳川家康から光秀までを陰で支えた南光坊天海という僧になったという伝説もあります。家光の「光」の字は光秀からとった、徳川家光の乳母お福(のちの春日局)は光秀の重臣斉藤利三の娘である、徳川家康が祀られる日光東照宮の近くに明智平という地名があることなどが根拠とされています。
さて大河ドラマでは光秀の最期はどのように描かれるのでしょうか。


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真田幸村、最期の場所

NHK大河ドラマ真田丸」もいよいよあと少しで終わりです。最終回がどのように描かれるのか楽しみです。

茶臼山古墳大阪夏の陣真田幸村が本陣を構えた場所です。
そして徳川家康をあともう少しで討てるところまで追い込みながらも、豊臣秀頼の後方支援なく逆に討たれてしまったと伝わる場所が、下の写真の上の方で茶臼山の北側で木がこんもりと生い茂っているところです。
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その場所は今は安居神社という小さな神社です。
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ここに真田幸村像と石碑が建てられています。
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この神社の松に満身創痍でもたれかかっているところを討たれたといわれています。
ちなみにその松は枯れてしまい、今の松は2代目ということです。
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真田幸村の最期についてはこれ以外にも説ありますが、一番夢があるのは豊臣秀頼を連れて薩摩に生き延びたという説です。ある意味、源義経=チンギスハンという伝説と似ています。



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真田丸、最終章!

NHK大河ドラマ真田丸」もいよいよ最終章に突入しました。

最終章の始まりとなった寺が豊臣秀吉が建てた京都の方広寺です。
地震で倒壊したこの寺を息子の秀頼が再建したときの梵鐘に刻まれた銘文はあまりにも有名です。
銘文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあり、これを知った徳川家康が「家康の2文字が引き裂かれていて、豊臣のみの繁栄を願っている」と言いがかりをつけ、大坂の陣の発端となりました。
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実際にこの梵鐘を見ればわかりますが、問題の銘文はたくさんの文字の中のほんの一部分です。
まさしく「意図的な言いがかり」であることが、この梵鐘を見ればよくわかります。
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ちなみにここには現在の東大寺の大仏を超える大きさの大仏がありました。徳川家康が豊臣家の財産を減らす意図で建造を勧めたものです。
地震で倒壊して現存しませんが、方広寺にはその大仏殿の跡地は残っています。
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ここは有名な清水寺三十三間堂からもそう遠くはないのですが、意外と訪れる人は少ないようです。
実際にこの梵鐘の文字や大仏殿跡を見ると、当時の徳川家康の思惑が感じられる貴重な場所だと私は思います。



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京都 二大イチャモン その2

今度は豊臣家が逆にイチャモンをつけられた事件。

豊臣秀吉が建立した京都の方広寺
地震で倒壊したのを息子の秀頼が再建したときの梵鐘に刻まれた銘文はあまりにも有名です。

銘文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあり、これを知った徳川家康が「家康の2文字が引き裂かれている、豊臣家のみの繁栄を願っている」とイチャモンをつけ、大坂夏の陣の発端となったことはよく知られています。

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実際にこの梵鐘を見ればわかりますが、問題の銘文はたくさんの文字の中のほんの一部分です。
まさしく「イチャモン」であることが、この梵鐘を見ればよくわかります。

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ちなみにここには現在の東大寺の大仏を超える大きさの大仏がありました。徳川家康が豊臣家の財産を減らす意図で建造を勧めたものです。
地震で倒壊して現存しませんが、方広寺にはその大仏殿の跡地は残っています。

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安土城跡をさらに丹念に

安土城の天守跡へ続く石段を登っていくと道の両脇に有名な武将の屋敷跡(あくまで伝承)が見られます。
写真は豊臣秀吉の屋敷跡と伝えられている場所ですが、ほかにも徳川家康前田利家の屋敷跡もあります。

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さらに登っていくと織田信長の本廟があります。

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また石段のいたる場所で石仏単なる石段の石として使用されています。
理由は、単純に石が足りずに転用したという説織田信長の神仏をも恐れぬ意志を世に知らしめたという説など様々です。

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また仏足石も置かれています。本来、仏足石は釈迦の足跡を刻んだもので信仰の対象とされるものです。
この仏足石安土城築城時に石垣のひとつとして使用されていたという話です。

ただこれが事実ならこの仏足石は日本で二番目に古いものとなり、疑問視する声もあります。

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このように安土山には歴史上価値のある史跡や謎めいたものがいっぱいあります。
単に天守跡まで往復するだけでなく、そのあたりを事前学習して行くとさらにおもしろいと思います。

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京都・鷹峯を作った寺

前回紹介した源光庵のある大変紅葉がきれいな光悦寺鷹峯にあります。
入り口は狭く、まさしく紅葉のトンネルをくぐるかの如くです。

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本阿弥光悦徳川家康から与えられたここ鷹峯の地に芸術村を開き、その死後寺院に改められました。

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行けばわかりますが、寺院というより山荘という雰囲気です。

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この光悦寺が鷹峯にあるというよりは、光悦寺が鷹峯という場所を作ったという方が正しいのかもしれません。

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