明智光秀が命を落としたという言い伝えのある京都・小栗栖の竹藪に行ったことがあります。そこは現在は明智藪と名付けられています。

しかし、いざ行ってみると藪はほんの申し訳程度を残して伐採され、見る影もありませんでした。
明智光秀がこの辺りで殺されたとすることさえ異論がある中で、襲われた場所をピンポイントで特定する証拠はありません。あくまで伝承なので、明智藪には歴史的価値はなく、土地の所有者も治安や防災面から藪を保存することが困難だったようです。

今回の大河ドラマでは明智光秀はずいぶんマイナスのイメージで描かれていました。それと違って明智光秀のイメージが爆上がりしたのは3年前の大河ドラマ「麒麟がくる」でした。長谷川博己さんが演じた明智光秀はさわやかで情に厚く、また妻思いの武将として描かれ光秀ファンが急増しました。

「麒麟がくる」では最期の落ち武者狩りシーンは描かれず、光秀は生き延びて天海僧正として徳川家に仕えたという伝説を匂わすような最終回でした。その伏線として風間俊介演じる徳川家康は長谷川博己の明智光秀を兄のように慕い尊敬する場面が多くありました。しかし「どうする家康」では明智光秀は完全な悪役で「憎き家康の首を何としてでも取れ~!」と叫び、家康との関係も「麒麟がくる」とは真逆の設定でした。

明智光秀が丹波を平定した後に治めた京都・福知山では名君として語り継がれています。同じく忠臣蔵の吉良上野介も地元では名君だったという話です。

このようにドラマとして描く側の意図や脚本、演じる俳優によって同じ歴史上の人物でもまったく異なる印象になります。このさじ加減が制作側の難しいところでもあり、見る側も大河ドラマだからといって描かれる人物像をそのまま鵜呑みにしてはいけないということです。

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