真田丸、最終章!

NHK大河ドラマ真田丸」もいよいよ最終章に突入しました。

最終章の始まりとなった寺が豊臣秀吉が建てた京都の方広寺です。
地震で倒壊したこの寺を息子の秀頼が再建したときの梵鐘に刻まれた銘文はあまりにも有名です。
銘文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあり、これを知った徳川家康が「家康の2文字が引き裂かれていて、豊臣のみの繁栄を願っている」と言いがかりをつけ、大坂の陣の発端となりました。
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実際にこの梵鐘を見ればわかりますが、問題の銘文はたくさんの文字の中のほんの一部分です。
まさしく「意図的な言いがかり」であることが、この梵鐘を見ればよくわかります。
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ちなみにここには現在の東大寺の大仏を超える大きさの大仏がありました。徳川家康が豊臣家の財産を減らす意図で建造を勧めたものです。
地震で倒壊して現存しませんが、方広寺にはその大仏殿の跡地は残っています。
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ここは有名な清水寺三十三間堂からもそう遠くはないのですが、意外と訪れる人は少ないようです。
実際にこの梵鐘の文字や大仏殿跡を見ると、当時の徳川家康の思惑が感じられる貴重な場所だと私は思います。



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京都へ行きました 5

京都方広寺はご存知ですか。
ここは「国家安康の鐘」で有名です。
秀吉亡き後の豊臣家がこの鐘に「国家安康 君臣豊楽」という語を刻んだ事を理由に徳川家康は一気に豊臣家を滅ぼしたのです。(「家康」が分断され、「豊臣」はくっついているという)

実際に見て驚くのはその文字の小ささです。
私が学校でならったときは30センチ四方くらいの大きさだと思っていました。
でも実際は写真のような大きさです。
ほんとによくもまあ気付いたなあという文字の量と大きさです。
いかに家康が豊臣家を攻める理由を血眼になって捜していたかがよくわかる鐘です。
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ここにはかつて今の東大寺大仏殿をしのぐ大仏殿もあったそうです。
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今はその跡地の一角に大きなケヤキの木があるだけです。
観光客も来ないひっそりとしたところです。
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ちなみにこのすぐ近くにこれまた有名な三十三間堂があります。
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