実際の本拠地とイメージのずれ

オリックスバファローズパリーグでリーグ優勝しました。吉田選手が抜けたにも関わらず、首位独走で見事な3連覇です。
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一方、阪神タイガースが18年ぶりのセリーグ優勝を決めたのは先週の金曜日でした。この1週間、在阪テレビ局の阪神OBバブルは続いていて、能見や鳥谷、桧山、掛布などの阪神OBの顔を見ない日はありません。とくに能見はオリックスOBでもあるので、さらに引っ張りだこでしょう。
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関西の球団がそろって優勝したのは阪神・南海が優勝した1964年以来で、さらに両方ともが本拠地で優勝を決めたのは史上初だそうです。

ところで本拠地の話ですが…
阪神タイガースといえば大阪のイメージが強いですが、本拠地は兵庫県西宮市にある甲子園球場です。ですから厳密にいえば兵庫県の球団です。
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それに対して、オリックスの本拠地は大阪市京セラドームで、こちらは紛れもなく大阪の球団です。
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ただオリックスバファローズの前身オリックスブルーウェーブの本拠地は神戸市でした。阪神大震災のとき「がんばろうKOBE」をスローガンに、仰木監督のもとイチローらの活躍で優勝した印象が強いので、今も年配の方を中心にオリックス神戸のイメージを抱いている方も少なくありません。
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このように、兵庫県西宮市が本拠地ながら大阪に根付く阪神と、大阪市が本拠地ながら神戸のイメージもあるオリックスが優勝したことで、優勝パレードをどこで行うのかがちょっとした話題になりました。吉村大阪府知事は「できれば阪神・オリックス合同大阪の御堂筋で行いたい」と発言したものの、事故やトラブルの危険性や、さらに球団の意向も受けて、合同パレードの可能性はなくなりました。
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そして、昨日のネットニュースで、11月23日に両チームが、大阪神戸で別々に交互に優勝パレードを行う方向で調整中という話が出ました。この形であれば、大阪神戸に留まっていれば、両チームのパレードが観れますし、熱烈なファンは大阪-神戸間を移動すればひいきのチームのパレードを2回観ることも可能です。いろいろな点を考慮すると選手は大変ですが無難な方法かもしれません。

以上、阪神・オリックスのファン以外の方にはどうでもいい話でした(゚∀゚)

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秀吉に翻弄された秀次の山城

1585年に豊臣秀吉の甥・豊臣秀次が築いた滋賀県近江八幡市八幡山城です。
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城は標高283mの八幡山に築かれましたが、現在は建物は残っておらず、石垣が残るだけです。
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下の写真は西の丸跡からの風景です。琵琶湖とその向こうに比叡山が見えます。当時は麓まで琵琶湖でした。
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西の丸跡から歩いて2分で出丸跡に着きます。ここからは城下町のようすが見えます。
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秀吉の姉の子である秀次秀吉の後継予定でしたが、秀吉に秀頼が生まれると、謀反の疑いをかけられて、高野山に追放されたあと自害に追い込まれました
本丸跡には村雲御所瑞龍寺というお寺があります。秀次の母が秀次の菩提を弔うために京都に創建し、1961年ここへ移築されました。
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山頂まで行くロープウェイは15分間隔で運行されています。登山道が整備されているので麓から歩いて登ることもできます。
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豊臣秀次秀吉の命令で切腹させられ、この城も築城10年で廃城になりましたが、切腹の真の理由については諸説あります。
秀次の妻や側室も、秀次の首が晒される前で処刑されるひどい仕打ちを受けており、秀吉を描くドラマでもいろいろな視点で描かれる事件です。ただ今回の大河ドラマどうする家康」では家康がメインなので、秀次事件は扱われないようです。

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網走神社の白い道

網走神社です。海上安全、安産祈願、商売繁盛などのご利益があるとされています。
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網走駅から近いですが、歩いても車でも入り口が少し分かりにくいかもしれません
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鳥居から本殿まで白い道が続いています。
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もしかしてと思いよく見るとやはりホタテの貝殻です。宗谷の白い道と同じです。
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ちなみに網走にあるフロックス公園にもホタテの貝殻が敷き詰められています。やはり産業廃棄物のホタテの貝殻の再利用ということでしょう。ただその思いがけない副産物は晴れたときに白が映えてきれいということです。宗谷でもせめて下の写真くらい晴れていてほしかったですね。
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網走神社は地域のための神社ですから観光客を呼び込む必要はありませんが、もっと多くの貝殻を敷き詰めて「白い参道」などとPRすればSNS映えして参拝客は増えるかもしれません。
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ただ駐車スペースも多くはありません。どこも安易に客集めをしてオーバーツーリズムを招いていますので、このままの方がいいと思います。

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宗谷丘陵の白い道

道北宗谷丘陵の「白い道」です。
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道の白空の青のコントラストが美しく、SNS映えすると数年前からメディアなどで取り上げられるようになりました。ただ私が訪れたときは残念ながら曇天で、道も空も重い灰色でした。
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この道が白いのは、砕かれたホタテの貝殻が敷き詰められているからです。ホタテの貝殻は産業廃棄物になるのでその処分で業者は頭を悩ませています。それを有効活用したわけです。
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そもそもこの道は「宗谷丘陵フットパスコース」の一部で歩くためのコースです。車も通行できますが、道は細く、すれ違うのが困難な道幅です。途中で待避所は何か所かありますが、ここも先日紹介したサロマ湖展望台への林道のように車両は一方通行にしてもらった方がありがたい道です。
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この道はナビには出ないので行き方が難しいです。私は稚内駅方面から行きましたが、事前にネットで調べて説明通りに行ったので迷わずに行けました。その説明文を以下に載せます。

「国道288号を宗谷岬に向かって走り、宗谷』という集落に入るとすぐ右手に宗谷公園の看板があります。そこを斜め右に行くと右手に郵便局があるのでその手前を右折し、すぐに三叉路に出るので、斜め左の『フットパス』の看板のある細い道に入ります。急な坂道を登りきると『白い道』がはじまります。」

ちなみに上の説明文に出てくる『宗谷』という集落が、先週のブラタモリで出てきた江戸時代の稚内の中心地だったようです。

【追記】とっしーさんからのご指摘で、「白い道」の通行は一方通行が推奨されていて、私が行った経路は逆走で、車で行く場合は宗谷岬方面から進入するのが正しいようです。お気を付けください。

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稚内でブラタモリ

先週のNHKブラタモリ稚内が舞台で、テーマは「北海道・稚内~“最北の町”で暮らすとは?~」でした。

最北端の地」として有名な宗谷岬から番組は始まりました。しかしここよりも北の緯度に北方領土の択捉島や宗谷岬の少し北の弁天島があるので、番組では「通常の交通機関で行ける離島以外の場所」という限定で「最北端」ではなく、「最北の町」という表現をしていました。
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宗谷岬のあと宗谷丘陵が紹介されました。この丘陵のポイントは周氷河地形です。
周氷河地形というのは、地中の水分が凍結や融解を繰り返して作られたV字にえぐられた地形で、宗谷丘陵はこの周氷河地形日本で唯一肉眼で見れる場所です。
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明治期の山火事によってこのあたりの樹木が焼失し、その後も強風高い樹木が生育しないために、写真のようなむき出しの周氷河地形を見ることができるわけです。北海道でもここ以外の周氷河地形は樹木で覆われていたり、開発で削られているために確認できません。
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タモリさんの趣味からすると、このあたりのことが深掘りされるのかと思っていましたが、そうではなく、宗谷の海岸が江戸時代の松前藩とアイヌの交易の中心だったことが紹介され、周氷河地形についてはほとんどスルーでした。

そして次に稚内の中心が宗谷岬周辺から今の稚内駅あたりに移ったことに話が及びました。
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かつて稚内駅は終着駅ではなく、さらに線路が岸壁方向に延びていました。
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そして線路の先には稚内桟橋駅があり、樺太との交易の玄関口になっていました。
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現在はその場所に駅はありませんが、強風と波から駅を守っていた巨大な北防波堤ドームがあります。
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今や稚内のシンボルであり、観光の目玉になっています。
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このあたりの海岸の地形が大きな船が停泊できる港を作るのに適していたことと、埋め立てに向いた性質の石が周辺に豊富にあったことで、宗谷岬周辺からこちらに町の中心が移ったそうです。
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終戦後、樺太との往来はなくなり、かつての賑わいは失われました。しかし、オホーツク海日本海の両方の海へ行けることで漁業が盛んになり、今ではホタテ、ホッケ、タコの水揚げ量は国内1位ということです。そして1年中強風が吹くことから、魚介類の干し物が稚内の名物になっています。
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今回のブラタモリ稚内の中心が移ったこと強風を中心にした番組の構成でしたが、次に行く折に参考にします。ただとにかく遠いのでいつになるやら‥
なお次回のブラタモリ利尻島です。

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